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義援金募集
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして
プロフィール

kai

Author:kai
こんにちは、kaiと申します。性別は男性。年齢は40代。職業は会社員です。趣味は、軍用機や艦艇や軍用車両等々の軍用と言われるモノに興味があります。写真撮影は、その記録をとる為の道具の一つでしかないと言う考えが災いしてか、銀塩時代から撮っているにも係らずちっとも進歩していません!

プロフの画像は、昨年の大晦日に舞鶴に行った時に一緒に行った友人が、自分の知らない間に撮っていてくれました。(笑)

本ブログの文章及び添付した写真等はJ-ForceClubの著作物であり、他のサイト・掲示板及びブログ等への無断転載を禁じます。

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東日本大震災から10日

災害派遣支援活動-10
上の画像は、100828にる陸上自衛隊の東富士演習場で行われた総火演の時に撮影した74式戦車ですが、ドーザーブレードの付いている画像がなかったので・・・。

ニュースなどでは、「戦車は、陸自の通常の施設科部隊(工兵部隊)が用いるブルドーザーとは異なり、装甲で覆われているため放射線に対する防護能力が高いと判断した・・・」とあるが、此れは間違いで74式の車体は「水密構造であるため、潜水キットを取り付ける事で2m強の潜水渡河が可能となっている。この密閉効果を利用することで、NBC汚染地域では車内を与圧し、乗員を汚染物質から防護することができる。潜水渡河の際、操縦手は雨衣を着用する。」と考える方が妥当ではないかと・・・!? つまり、ある程度の機密性が有るとの判断から今回の仕事が回ってきたと考えるのが一般的かも知れませんが、実は今年から10式戦車に随時変更されていくので最後の花道を飾る意味での採用となったと考えるのが妥当と思われるますが・・・!?そして気になるのは、操縦者は防護服を着せてもらえるのかと言う点です。74式に限らず戦車の内部は結構な狭さだと聞いていますので、そうした部分がクリアされていると良いのですが・・・!?

今朝の朝刊の一面の見出しは「80歳と孫 10日目の救出」「家ごと津波で流された 16歳はい出しSOS」まさに奇跡である!72時間をはるかに越えた200時間以上もの間、飢えと寒さに耐え忍んだ末の救出劇である。その片方では「死者・不明2万人超す」と伝えている。その下には「福島第一原発 2、5号機配電盤に通電」その横には「戦車でがれき除去へ」とかかれています。また、「水道水飲用自粛を要請」とありその脇に小さく「福島・飯館村 高濃度の放射性物質」とあり、まだまだ事態の収束には時間を必要としている印象を否めません。

その対面の26面では「広がれ 元気と勇気」と大きく書かれています。また「困難を乗り越えて」と各被災地域の方々の顔写真にそえたエールが太文字で書かれていたり、「両親行方不明の小学生『早く会いたい。それまで頑張る』兄弟で避難所手伝い」とその様子を写真と共に紹介されています。また、「心のケアを粘り強く『避難生活の疲れ癒す』被災顧みず炊き出し」とあり、被災して避難所生活を余儀なくされた地域の住民を看護師やカウンセラーがケアしている様子や、自分も被災しているのに被災者のために自分の店の魚を調理して炊き出しを行い、自衛隊の支援が届くまでの1週間を地域住民の為に続けたと言う心がほっとする様な記事があった。

以下は、本日防衛省から発表された自衛隊の活動状況です。

平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震自衛隊の活動状況(12時00分現在)
平成23年3月21日
防衛省

※数値等は速報値であり、今後変わることがある。
※下線部は前回からの変更箇所

派遣規模人員約105,900名(陸:約69,000名、海:約15,400名、空:約21,300名)

・回転翼214機、固定翼325機
・艦船55隻
が活動中

※3月14日(月)東北方総監を長とする統合任務部隊を編成
・3月18日(金)東北地方太平洋沖地震による被災地域において、自衛隊の部隊が実施する救援活動等に係る予備費の使用を決定(約54億円)<18日閣議決定>

自衛隊による救助状況○大規模地震災害派遣による活動

・自衛隊による救助者数 約19,300名(現時点で確認されているもの)

11日~19日 20日 計
救助者数
(名) 約19,300  - 約19,300
災害派遣要請元11日14時52分 岩手県知事
11日15時02分 宮城県知事
11日16時20分 茨城県知事
11日16時47分 福島県知事
11日16時54分 青森県知事
11日18時50分 北海道知事
12日01時00分 千葉県知事

連絡員の派遣北海道(根室振興局、日高振興局、釧路総合振興局、胆振総合振興局、えりも町)、宮城県(県庁、東松島市)、岩手県(県庁、山田町役場)、秋田県庁、青森県(県庁、八戸市役所)、福島県(県庁、田村市役所)、山形県庁、茨城県庁

自衛隊の実施事項(調整中含む)○大規模地震災害派遣による活動
①関係命令
11日14時50分 防衛省災害対策本部設置(本部長:防衛大臣)
11日18時00分 大規模震災災害派遣命令
16日11時58分 予備自衛官及び即応予備自衛官の災害等召集命令
17日22時00分 大規模震災災害派遣命令の一部変更命令


②活動内容
航空機による情報収集
被害者の救助
人員、物資等輸送
給食・給水支援
ヘリコプター映像伝送による官邸及び報道機関等への提供
自衛隊施設(防衛大学校)による避難民受け入れ

○原子力災害派遣による活動
①関係命令
11日19時30分 原子力災害派遣命令(12日09:20原子力災害派遣命令発出のため廃止)
12日09時20分 原子力災害派遣命令(17日03:00原子力災害派遣命令発出のため廃止)
17日03時00分 原子力災害派遣命令

②活動内容
避難支援、冷却水、給水支援、物資等輸送、原子炉冷却のための放水


○現地調査団等の輸送支援
政府調査団(第1陣:宮城県)の現地派遣
経済産業副大臣及び原子力安全・保安院職員等の現地派遣
総理大臣の現地視察(福島第1原発及び宮城県被災地上空等)
政府調査団(第2陣:岩手県及び福島県)の現地派遣
DMAT(災害派遣医療チーム)の輸送支援
防衛大臣現地視察(統合任務部隊編成)
防災担当大臣現地視察

自衛隊の活動○派遣部隊
陸 自 東北方面隊
第6師団(第20普通科連隊(神町)、第22普通科連隊(多賀城)、第44普通科連隊(福島)、第6特科連隊(郡山)、第6後方支援連隊(神町)、第6戦車大隊(大和)、第6高射特科大隊(郡山)、第6施設大隊(神町)、第6通信大隊(神町)、第6偵察隊(大和)、第6飛行隊(神町)、第6特殊武器防護隊(神町)、第6師団司令部付隊(神町))
第9師団(第5普通科連隊(青森)、第21普通科連隊(秋田)、第39普通科連隊(弘前)、第9特科連隊(岩手)、第9後方支援連隊(青森)、第9戦車大隊(岩手)、第9高射特科連隊(岩手)、第9施設大隊(八戸)、第9通信大隊(青森)、第9対戦車隊(八戸)、第9偵察隊(弘前)、第9飛行隊(八戸)、第9化学防護隊(青森)、第9師団司令部付隊(青森))
第4地対艦ミサイル連隊(八戸)、第2施設団(船岡)、東北方面特科隊(仙台)、第5高射特科群(八戸)、東北方面通信群(仙台)、東北方面航空隊(霞目)、東北方面後方支援隊(仙台)、東北方面衛生隊(仙台)、東北方面総監部付隊(仙台)


北部方面隊
第2師団(第3普通科連隊(名寄)、第25普通科連隊(遠軽)、第26普通科連隊(留萌)、第2特科連隊(旭川)、第2後方支援連隊(旭川)、第2施設大隊(旭川)、第2通信大隊(旭川)、第2偵察隊(旭川)、第2飛行隊(旭川)、第2化学防護隊(旭川)、第2師団司令部付隊(旭川))
第5旅団(第4普通科連隊(帯広)、第6普通科連隊(美幌)、第5戦車隊(鹿追)第5特科隊(帯広)、第5後方支援連隊(帯広)、第5偵察隊(帯広)、第5飛行隊(鹿追)、第5高射特科中隊(帯広)、第5施設中隊(帯広)、第5通信中隊(帯広)、第5音楽隊(帯広)、第5旅団司令部付隊(帯広))
第7師団司令部(第11普通科連隊(東千歳)、第72戦車連隊(帯広)、第7後方支援連隊(東千歳)、第7施設大隊(東千歳)、第7通信大隊(東千歳)、第7飛行隊(丘珠)、第7師団司令部付隊(東千歳))
第11旅団(第18普通科連隊(真駒内)、第28普通科連隊(函館)、第11戦車隊(真駒内)、第11後方支援隊(真駒内)、第11旅団司令部付隊(真駒内))
第1特科団(北千歳)、北部方面施設隊(南恵庭)、北部方面航空隊(丘珠)、北部方面後方支援隊(島松)、北部方面通信群(札幌)、北部方面会計隊(札幌)、北部方面補給処(島松)

東部方面隊
第1師団(第1普通科連隊(練馬)、第31普通科連隊(武宮)、第34普通科連隊(板妻)、第1特科隊(北富士)、第1後方支援連隊(練馬)、第1戦車大隊(駒門)、第1高射特科大隊(駒門)、第1施設大隊(朝霞)、第1通信大隊(練馬)、第1化学防護隊(練馬)、第1師団司令部付隊(練馬))
第12旅団(第2普通科連隊(高田)、第13普通科連隊(松本)、第30普通科連隊(新発田)、第12特科隊(宇都宮)、第12後方支援隊(新町)、第12ヘリコプター隊(相馬原)、第12偵察隊(相馬原)、第12対戦車中隊(新町)、第12高射特科中隊(相馬原)、第12施設中隊(新町)、第12通信中隊(相馬原)、第12科学防護隊(相馬原)、第12旅団司令部付隊(相馬原))
第1施設団(古河)、東部方面後方支援隊(朝霞)、東部方面航空隊(立川)、第2高射特科群(松戸)、東部方面通信群(朝霞)、東部方面会計隊(朝霞)、第1教育団(朝霞)、相馬原駐屯地業務隊(相馬原)、霞ヶ浦駐屯地業務隊(霞ヶ浦)、木更津駐屯地業務隊(木更津)、宇都宮駐屯地業務隊(宇都宮)、北宇都宮駐屯地業務隊(北宇都宮)

中部方面隊
第3師団(第7普通科連隊(福知山)、第36普通科連隊(伊丹)、第37普通科連隊(信太山)、第3特科隊(姫路)、第3後方支援連隊(千僧)、第3戦車大隊(今津)、第3高射特科大隊(姫路)、第3通信大隊(千僧)、第3飛行隊(八尾)、第3偵察隊(千僧)、第10師団(第14普通科連隊、第33普通科連隊(久居)、第35普通科連隊(守山)、第10特科連隊(豊川)、第10後方支援連隊(春日井)、第10戦車大隊(今津)、第10高射特科大隊(豊川)、第10施設大隊(春日井)、第10通信大隊(守山)、第49普通科連隊(豊川)、第10偵察隊(春日井)、第10化学防護隊(守山)、第10師団司令部付隊(守山))
第13旅団(第8普通科連隊(米子)、第17普通科連隊(山口)、第46普通科連隊(海田市)、第13特科隊(日本原)、第13後方支援隊(海田市)、第13偵察隊(出雲)、第13飛行隊(防府)、第13戦車中隊(日本原)、第13高射特科中隊(日本原)、第13施設中隊(海田市)、第13通信中隊(海田市)、第13師団司令部付隊(海田市))
第14旅団(第15普通科連隊(善通寺)、第50普通科連隊(高知)、第14特科隊(松山)、第14後方支援隊(善通寺)、第14偵察隊(善通寺)、第14飛行隊(北徳島)、第14戦車中隊(日本原)、第14施設中隊(高知)、第14通信中隊(善通寺)、第14旅団司令部付隊(善通寺))第4施設団(大久保)、中部方面後方支援隊(桂)、中部方面通信群(伊丹)、中部方面航空隊(八尾)、中部方面衛生隊(伊丹)、中部方面会計隊(伊丹)、守山駐屯地業務隊(守山)、大久保駐屯地業務隊(大久保)、善通寺駐屯地業務隊(善通寺)、出雲駐屯地業務隊(出雲)、自衛隊阪神病院(川西)

西部方面隊
第4師団(第16普通科連隊(大村)、第40普通科連隊(小倉)、第41普通科連隊(別府)、第4特科連隊(久留米)、第4施設大隊(大村)、第4通信大隊(福岡)、第4偵察隊(福岡)、第4飛行隊(目達原)、第4後方支援連隊(福岡)、第4師団司令部付隊(福岡))第8師団(第12普通科連隊(国分)、第42普通科連隊(北熊本)、第43普通科連隊(都城)、第8特科連隊(北熊本)、第8後方支援連隊(北熊本)、第8戦車大隊(玖珠)、第8施設大隊(川内)、第8高射特科大隊(北熊本)、第8通信大隊(北熊本)、第8偵察隊(北熊本)、第8化学防護隊(北熊本)、第8師団司令部付隊(北熊本))
第15旅団(第15後方支援隊(那覇)、第51普通科連隊(那覇)、第15通信隊(那覇)
第5施設団(小郡)、西部方面特科隊(湯布院)、第2高射特科団(飯塚)、西部方面後方支援隊(目達原)、西部方面通信群(健軍)、西部方面航空隊(目達原)、西部方面衛生隊(健軍)、西部方面会計隊(健軍)、自衛隊福岡病院(春日)、自衛隊熊本病院(熊本)

中央即応集団
第1空挺団(習志野)、第1ヘリコプター団(木更津)、中央即応連隊(宇都宮)、中央器特殊防護隊(大宮)、対特殊武器衛生隊(朝霞)、中央即応集団司令部付隊(朝霞)、国際活動教育隊(駒門)
通信団(市ヶ谷)、警務隊(市ヶ谷)、高射学校(下志津)、施設学校(勝田)、需品学校(松戸)、化学学校(大宮)、自衛隊中央病院(三宿)、武器学校(土浦)


海 自 指揮官:横須賀地方総監
航空集団(厚木)、教育航空集団(下総)、横須賀地方総監部(横須賀)、掃海隊群(横須賀)、第1護衛隊群(横須賀)、第2護衛隊群(佐世保)、第3護衛隊群(舞鶴)、第2潜水隊群(横須賀)、第1航空群(鹿屋)、第2航空群(八戸)、第4航空群(厚木)、第5航空群(那覇)、第21航空群(館山)、第22航空群(大村)、第31航空群(岩国)、下総教育航空群(下総)、第1護衛隊(横須賀)、第2護衛隊(佐世保)、第3護衛隊(舞鶴)、第4護衛隊(大湊)、第5護衛隊(横須賀)、第6護衛隊(佐世保)、第11護衛隊(横須賀)、第12護衛隊(呉)、第15護衛隊(大湊)、第1掃海隊(呉)、第2掃海隊(佐世保)、第51掃海隊(横須賀)、第101掃海隊(呉)、第41掃海隊(横須賀)、第42掃海隊(呉)、第43掃海隊(佐世保)、第44掃海隊(舞鶴)、第45掃海隊(大湊)、第46掃海隊(佐世保)、第203教育航空隊(下総)、第211教育航空隊(鹿屋)、第2潜水隊(横須賀)、第1海上訓練支援隊(呉)、横須賀警備隊(横須賀)、第2ミサイル艇隊(舞鶴)、横須賀衛生隊(横須賀)護衛艦「はるさめ」、護衛艦「たかなみ」、護衛艦「おおなみ」、護衛艦「さわゆき」、護衛艦「やまゆき」、護衛艦「しらね」、護衛艦「くらま」、護衛艦「ゆうぎり」、護衛艦「あまぎり」、護衛艦「せとぎり」、護衛艦「さわぎり」、護衛艦「きりしま」、護衛艦「ちょうかい」、護衛艦「あしがら」、護衛艦「ひゅうが」、護衛艦「あぶくま」、護衛艦「おおよど」、護衛艦「ちくま」、護衛艦「とね」、掃海艦「やえやま」、掃海艦「はちじょう」、掃海母艦「ぶんご」、輸送艦「くにさき」、輸送艦「ゆら」、輸送艦「のと」、訓練支援艦「くろべ」、訓練支援艦「てんりゅう」、多用途支援艦「ひうち」、多用途支援艦「すおう」、多用途支援艦「あまくさ」、海洋観測艦「すま」、海洋観測艦「わかさ」、海洋観測艦「にちなん」、潜水艦救難母艦「ちよだ」、試験艦「あすか」、補給艦「ときわ」、補給艦「はまな」、補給艦「おうみ」、補給艦「とわだ」、掃海艇「ひらしま」、掃海艇「たかしま」、掃海艇「つしきま」、掃海艇「まえじま」、掃海艇「くめじま」、掃海艇「まきしま」、掃海艇「ながしま」、掃海艇「ゆげしま」、掃海艇「つのしま」、掃海艇「なおしま」、掃海艇「とよしま」、掃海艇「あいしま」、掃海艇「あおしま」、掃海艇「みやじま」、掃海艇「ししじま」、掃海管制艇「さくしま」、特務艇「はしだて」、試験艦「くりはま」
空 自 第2航空団(千歳)、第3航空団(三沢)、北部航空警戒管制団(三沢)、第6高射群(三沢)、北部航空施設隊(三沢)、第4航空団(松島)、第6航空団(小松)、第7航空団(百里)、中部航空警戒管制団(入間)、第1高射群(入間)、第4高射群(岐阜)、中部航空施設隊(入間)、西部航空方面隊司令部支援飛行隊(春日)、第5航空団(新田原)、第8航空団(築城)、西部航空警戒管制団(春日)、第2高射群(春日)、西部航空施設隊(芦屋)、南西航空混成団司令部(那覇)、第83航空隊(那覇)、南西航空警戒管制隊(那覇)、第5高射群(那覇)、南西航空施設隊(那覇)、第1輸送航空隊(小牧)、第2輸送航空隊(入間)、第3輸送航空隊(美保)、三沢ヘリコプター空輸隊(三沢)、入間ヘリコプター空輸隊(入間)、千歳救難隊(千歳)、秋田救難隊(秋田)、新潟救難隊(新潟)、百里救難隊(百里)、浜松救難隊(浜松)、航空総隊司令部飛行隊(入間)、偵察航空隊(百里)、警戒航空隊(浜松)、警戒航空隊(三沢)、高射教導隊(浜松)、航空システム通信隊(市ヶ谷)、第1航空団(浜松)、第1術科学校、第2術科学校、北部航空音楽隊(三沢)、第4補給処東北支処長(東北町)、防空指揮群(府中)、プログラム管理隊(入間)、中部航空音楽隊(浜松)、教材整備隊(浜松)、第11飛行教育団(静浜)、幹部候補生学校(奈良)、第4術科学校(熊谷)、電子開発実験群(入間)、航空中央業務隊(市ヶ谷)、第1補給処(木更津)、第1補給処東京支処長(十条)、第2補給処(岐阜)、第3補給処(入間)、第4補給処(入間)、西部航空音楽隊(春日)、第12飛行教育団(防府北)、航空教育隊(防府南)、第3術科学校(芦屋)、西部航空施設隊(芦屋)、南西航空音楽隊(那覇)、作戦情報隊(府中)、航空保安管制群(入間)、航空気象群(府中)、飛行点検隊(入間)、航空開発実験団司令部(入間)、航空安全管理隊(立川)、航空警務隊(市ヶ谷)、航空機動衛生隊(小牧)、補給本部(十条)、基地防空教導隊(千歳)、第3高射群(千歳)、航空教育隊第2教育群(熊谷)、航空中央音楽隊(立川)、第1補給処立川支所(立川)、飛行開発実験団(岐阜)、第4補給処高蔵寺支処(高蔵寺)、飛行教導隊(新田原)、飛行教育航空隊(新田原)、第13飛行教育団(芦屋)、第5術科学校(小牧)、航空医学実験隊(入間)、幹部学校(目黒)、航空支援集団(府中)、航空救難団(入間)、航空教育集団(浜松)、岐阜病院(岐阜)

陸 自
(11日) 18時25分 東北方面特科隊(仙台)27名人員をもって保育所への救出のため出発し、救援活動を実施
18時45分 第2施設団、名取市(宮城県南部)家屋に取り残された10数名救助のため、初動小隊30名派遣
22時17分 仙台病院に患者20名を収容
23時48分 東北方面特科隊が仙台市内の避難所にストーブ約260台を搬送。
(12日) 05時15分 第1空挺団(習志野)の人員約40名、車両6両(水トレーラー4両含む)により、給水支援及び輸送支援を実施
20時00分頃、21時00分頃 第6師団が被災民に対する約5万食のパンの輸送を実施
(13日) 00時20分 第6後方支援連隊(東根)がDMAT64名を東北大学病院まで輸送。
06時46分 第9特科連隊第2中隊が野田村でがれきの除去を実施
07時51分 第20普通科連隊がヘリで志津川小学校から要救助者6名を救出
08時00分 第6師団が気仙沼等で捜索活動を実施
08時57分 第130大隊が26名を救出
18時30分 第6師団が石巻で125人を救助するとともに糧食及び毛布を配布
22時20分 第9特科連隊(滝沢村)が岩手県下閉伊郡山田町で消火活動を実施
(14日) 09時45分 第9師団第4地対艦ミサイル連隊が炊き出し800食作成完了
13時00分 札幌病院2コ医療チーム巡回診療のため宮古市避難所へ前進中
13時15分 英国レスキューチーム46名を三沢から大船渡に搬送
13時25分 第6師団が石巻で36名救助
15時43分 石巻駅北側の住宅地の2階における要救助者については、現在6師団の隊員がボートで救出を実施中
17時40分 第2施設大隊 老木公園集結完了 同地にて展開
(15日) 07時10分 第5旅団司令部及び第5旅団司令部付部隊 苫小牧東港に到着
(16日) 17時09分 第4地対艦ミサイル連隊 物資輸送(米、毛布、りんご)
20時21分 第25普通科連隊 給水支援1t
23時32分 後方支援連隊 給水支援6t、物資輸送(ガソリンドラム缶×18樽)
他、細部確認中
(17日) 16時00分 第10師団司令部付隊 蔵王向山地区の給水支援(3t)、丸森町筆甫(ひっぽ)避難所での給食支援(460食)
16時05分 第9飛行隊 UH915 新浜町へ食料毛布等650kg空輸、UH718 唐丹中学校へ食料毛布等650kg空輸
17時30分 第26普通科連隊 給水支援3.4t、炊き出し(1220食)
(18日) 16時59分 第9飛行隊 UH915 青森空港、大船渡東高校へ食料品計600Kg空輸
17時57分 第1大隊が給水作業終了(給水量6.8t)
(19日) 00時19分 第40普通科連隊が志津川町で救援・捜索活動、物資輸送・瓦礫除去
17時15分 第2戦車連隊が田老地区で瓦礫の除去
(20日) 11時00分 中央即応集団司令部 内閣府副大臣空輸 霞目着陸
11時10分 東北方面航空隊 石巻市各所に避難者ニーズによる物資空輸(非常用糧食×25箱等)
12時20分 第9飛行隊 物資輸送(食糧品・生活用品等600Kg)終了 花巻空港
13時08分 第6飛行隊 宮戸小学校に物資(医薬品、日用品)空輸
13時12分 東北方面航空隊 石巻市・女川町各所に避難者ニーズによる物資空輸(灯油×10缶等)
16時04分 第108全般支援大隊 15ヶ所に燃料輸送
16時40分 第108全般支援大隊 6ヶ所に燃料巡回配布
18時27分 東北方面航空隊 石巻市各所に避難者ニーズによる物資空輸(灯油20L×10缶)
他、細部確認中

海 自
(11日) 20時45分 八戸基地体育館に770名の避難者、私有車両140両を収容。
21時50分 大湊地方隊、毛布3000枚(青森県六ヶ所村500枚、風間浦500枚、三沢市500枚、八戸市500枚、むつ市1000枚)、缶詰1000個を搬出。
(12日) 06時30分 「はるさめ」搭載回転翼機が陸前高田孤立住民3名を救助
06時35分 第73航空隊のUH-60Jが、石巻沖の船舶乗員10名を救助
09時32分 第73航空隊のUH-60Jが、石巻湾漂流中の1名を救助
09時43分 「さわゆき」搭載回転翼機が陸前高田病院付近から避難場所まで被災者3名を搬送
09時53分 「たかなみ」搭載回転翼機が鹿妻小学校から石巻赤十字病院まで被災者9名を搬送
10時55分 「さわゆき」搭載回転翼機が陸前高田市役所屋上から避難場所まで被災者5名を搬送
11時26分 「おおなみ」搭載回転翼機が気仙沼市内から気仙沼小学校まで被災者5名を搬送
12時40分 第2護衛群第6護衛隊「はるさめ」の回転翼が気仙沼で13名救助
13時04分 第111航空隊のMCHが陸前高田病院から花巻空港まで人員輸送
13時38分 第2護衛隊群第6護衛隊の「たかなみ」から内火艇×2隻が孤立した被災者27名を救助。別に、救助された5名をあわせた32名のうち、4名を搭載ヘリにより日赤病院に搬送。残りの28名は艦内で待機。
13時44分 「たかなみ」搭載回転翼機が高田病院へ被災者12名を搬送
14時05分 「たかなみ」搭載回転翼機が高田病院へ被災者2名を搬送
14時11分 「すおう」が八戸沖から八戸港まで被災した漁船船員1名を搬送
14時28分 「さわゆき」搭載回転翼機が高田病院へ被災者2名を搬送
14時32分 第111航空隊(岩国)のMCH-101が陸前高田病院から花巻空港までの人員輸送
14時34分 「たかなみ」搭載回転翼機が石巻市内から石巻赤十字病院まで被災者5名を搬送
15時05分 「おおなみ」搭載回転翼機が阿武隈川河口から気仙沼陸上競技場まで被災者4名を搬送
15時07分 「たかなみ」搭載回転翼機が鹿妻小学校から石巻赤十字病院まで被災者4名を搬送
15時23分 第2航空群UH64が「ちきゅう」から80名を救助、八戸まで移送
16時10分 「たかなみ」搭載回転翼機が鹿妻小学校から石巻赤十字病院まで被災者6名を搬送
16時30分 第4護衛隊群第8護衛隊「きりしま」の回転翼が鹿妻小学校への物品輸送
16時35分 「たかなみ」搭載回転翼機が鹿妻小学校から石巻赤十字病院まで被災者5名を搬送
16時45分 「はるさめ」搭載の回転翼機が浦島小学校から被災者12名を救助、気仙沼小学校へ搬送
17時28分 「たかなみ」搭載艇が石巻周辺で被災者2名を救助・搬送
17時56分 「おおなみ」搭載の回転翼機が阿武隈川河口から被災者33名を救助、岩沼市陸上競技場へ搬送
18時58分 「はるさめ」搭載回転翼機が浦島小学校から気仙沼小学校まで被災者1名を搬送
(13日) 06時15分 「さわぎり」搭載回転翼機が阿武隈川河口付近から岩沼市陸上競技場まで被災者10名を救助・搬送
07時02分 73空 UH64号が大湊を離陸、尻屋から宮古にかけて孤立した住民の捜索救助を実施
07時36分 「おおなみ」搭載の回転翼機が亘理町立荒浜中学校から被災者31名を救助、岩沼市陸上競技場へ搬送
07時45分 「たかなみ」搭載回転翼機が多田小学校から石巻市赤十字病院まで被災者5名を救助・搬送
07時46分 「はるさめ」搭載回転翼機が気仙沼浦島小学校から気仙沼小学校まで被災者6名を救助・搬送
08時25分 「たかなみ」搭載回転翼機が多田小学校から石巻赤十字病院まで被災者3名を救助・搬送
08時30分 「さわぎり」積載回転翼機が阿武隈川河口から岩沼市まで要救助者10名を搬送
08時45分 「さわぎり」搭載回転翼機が、学校の屋上から亘理町中央児童センターまで被災者1名を搬送
09時18分 「さわぎり」搭載回転翼機が、民家から亘理町中央児童センターまで被災者2名を搬送
09時34分 「はるさめ」搭載回転翼機が、気仙沼大島中学校から気仙沼小学校まで被災者9名を搬送
09時51分 第25航空隊UH-60Jが片岸町室浜海岸から県立釜石病院まで被災者9名を搬送
10時30分 第25航空隊UH-60Jが片岸町室浜海岸から県立釜石病院まで被災者11名を搬送
10時37分 「はるさめ」搭載回転翼機が石巻長面地区から石巻赤十字病院まで被災者6名を救助・搬送
10時40分 第73航空隊MCH-101が大槌から県立釜石病院搬へ被災者11名を救助・搬送
10時55分 111航空隊が南三陸町に非常糧食を輸送
11時02分 「さがぎり」搭載回転翼機が民家から亘理町中央児童センターまで被災者3名を救助・搬送
11時12分 「ちょうかい」搭載艇及び搭載回転翼機が福島沖から相馬中央病院まで被災者1名を救助・搬送
11時19分 「はるさめ」搭載回転翼機が気仙沼北上中学校から石巻市赤十字病院まで被災者2名を救助・搬送
11時35分 「しらね」搭載回転翼機が山田湾内から釜石陸上競技場まで被災者1名を搬送
12時00分 ときわからMH53Eにより宮城県長沼市に応急糧食3,000食を輸送完了
12時26分 「はるさめ」搭載回転翼機が汽船沼北上中学校から石巻市赤十字病院まで被災者4名を救助・搬送
12時53分 「ひゅうが」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻市赤十字病院まで被災者1名を救助・搬送
14時14分 「ひゅうが」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻市赤十字病院まで被災者5名を救助・搬送
14時33分 「はるさめ」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻飯野川中学校まで被災者10名を救助・搬送
15時00分 「はるさめ」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻飯野川中学校まで被災者12名を救助・搬送
「ひゅうが」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻飯野川中学校まで被災者18名を救助・搬送
「たかなみ」搭載回転翼機が第2湊小学校から石巻赤十字病院まで被災者2名を搬送
15時20分 「はるさめ」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻飯野川中学校まで被災者12名を救助・搬送
「ひゅうが」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻飯野川中学校まで被災者15名を救助・搬送
15時43分 MH―53Eが遠野運動公園へ非常用糧食9000食、毛布500枚、水157箱を輸送
16時00分 「はるさめ」搭載回転翼機が長面集落地区から石巻飯野川中学校まで被災者7名を救助・搬送
16時03分 第25航空隊UH-60J及びSH-60Jが白浜小学校から釜石市民病院まで被災者139名を搬送
16時20分 「たかなみ」搭載回転翼機が第2湊小学校から石巻市赤十字病院まで被災者5名を搬送
17時00分 「たかなみ」搭載回転翼機が第2湊小学校から石巻市赤十字病院まで被災者2名を搬送
17時56分 「おおなみ」搭載回転翼機が亘理町立荒浜中学校から岩沼市陸上競技場まで被災者33名を搬送
18時00分 横須賀警備隊が72トンの給水支援を実施
・ときわからMCH-101により気仙沼市及び長沼市に非常用糧食152箱を輸送

(14日) 13時13分 浦戸桂島(塩釜市)で「おおなみ」の内火艇及び作業艇により物資輸送(水140L、カンパン192個、パン174個)
14時14分 「ときわ」から発艦した回転翼機が2.5トンの非常用糧食を女川総合運動公園に輸送
15時40分 「おおなみ」が被災者に対し食料等を提供(水170L等)
17時47分 「はるさめ」搭載の回転翼機が波伝谷地区から石巻赤十字病院へ被災者8名を搬送
(15日) 09時47分 UH-60Jにより厚木から長沼に飲料水1トンを輸送
10時18分 MCH-101により「はまな」から八戸に糧食15トンを輸送
13時51分 大湊地方総監部は海上保安庁と協力し、八戸港の入港に係る、港湾調査を実施
14時02分 「ぶんご」は牡鹿半島および田代島の被災者に対する救援物資(牡鹿半島:糧食1800食、水約1トン、田代島:糧食180食)を輸送
14時30分 SH-60Jにより三沢から久慈に糧食50食分を輸送
16時08分 2空群 八戸基地避難小中学生に対する登下校支援(根木小4名 多賀小1名 市川中3名)16日~19日基地隊車両で輸送
17時15分 「はしだて」 漁船からの救援物資の要請に対し、物品を提供 (ガソリン8リットル、米50キロ)
(16日) 08時55分 「くにさき」LCACにより3回目の救援物資陸揚げ(缶飯、缶詰、水等)。石巻市渡波周辺の被災民の安否確認実施。渡波公民館 500名(傷病者15名、重傷者なし、搬送の用なし)、渡波農協 55名、渡波保育園 55名、洞源院 300名、シクタ1区集会所 220名、シクタ2区集会所 60名、渡波小学校 1300名、タンノウラ中学校 2000名、ケヤキ水産 400名
14時57分 21空群 千葉県東方沖を震源とする地震の状況偵察を実施。異常なし
(17日) 09時13分 「にちなん」搭載艇により、志津川湾細濱漁港にて、白米125kg、トイレットペーパー4箱(400ロール)引渡し
11時08分 輸送艦「くにさき」渡波公民館に救援物資(おにぎり5000個、水)を輸送
11時41分 輸送艦「くにさき」渡波公民館にて医療支援を実施
14時24分 下総消防車及び給水車搭載の水全てを空自消防車MB-3に補給
(18日) 06時30分 「ぶんご」搭載艇が宮城県気仙沼東湾の被災者に対し、軽油10200L、ガソリン200L、飲料水600L、非常用糧食10032食、毛布200枚、日用品を提供
06時30分 「ぶんご」衛生班が気仙沼東湾の被災者130名に対し、診療等の支援を実施
07時01分 「たかなみ」が宮城県女川第2小学校の被災者に対し、おにぎり360個、毛布50枚を提供
「さわゆき」が宮城県雄勝湾水浜地区の被災者に対し、おにぎり300個、毛布50枚、日用品を提供
08時00分 「ぶんご」が宮城県気仙沼市大島小学校の被災者50名に対し、診療等の支援を実施
08時29分 「くにさき」のLCAC(エアクション艇)が石巻市渡波漁港に主食缶詰10896個、副食缶詰8400個、飲料水4500本を輸送
08時50分 「しらね」衛生班が石浜・川代、姉吉地区の被災者13名に対し診察等の支援実施
08時59分 111空の回転翼機MH-53Eが厚木から石巻運動公園に医療品10Kg、毛布1100枚を輸送
09時14分 「さわゆき」搭載回転翼機が石巻市自然の家から石巻赤十字病院へ被災者2名を輸送
09時38分 「くにさき」が石巻市渡波公民館の被災者に対し、主食缶詰10896個、副食缶詰8400個、飲料水4500本を提供
11時13分 「おおすみ」のLCAC(エアクション艇)が小名浜港マリーナ南海岸に簡易トイレ194個、飲料水600Lを輸送
11時23分 「くろべ」が石巻市高城浜漁港の被災者320名に対し。毛布30枚、医療品、ガソリン20L、日用品を提供
11時35分 「ひゅうが」衛生班が宮城県内6箇所(海洋青年の家、津の宮センター、滝浜等)で被災者136名に対し診療等支援を実施
11時50分 「おうみ」衛生班が宮城県石巻市渡波公民館の被災者31名に対し、健康診断等の支援を実施
11時52分 横須賀警備隊は千葉県浦安市オリエンタルランド岸壁で給水車による給水支援を実施。本日まで、給水車472台分(1215トン)
11時30分 MH-53Eが厚木から石巻運動公園へ毛布700枚及び医療品を輸送
12時40分 「にちなん」が宮城県大須小学校の被災者に対し、軽油1080L、日用品を提供
13時02分 MH-53Eが厚木から石巻運動公園へ毛布400枚を輸送
13時10分 「つきしま」が宮城県神止地区の被災者150名に対し、主食缶詰168個、副食缶詰244個、飲料水168本、日用品を提供
13時35分 「おうみ」衛生班が宮城県石巻市旧小竹浜小中学校の被災者68名に対し健康診断等の支援を実施
13時51分 「おおすみ」が小名浜港マリーナ南海岸の被災者に対し、簡易トイレ194個、飲料水600Lを提供
14時59分 「おおすみ」が小名浜港藤原埠頭第3岸壁の被災者に対し、毛布20680枚、アルファ米31150食、テント9張、簡易トイレ570個を提供
15時00分 11時00分から「つきしま」が気仙沼東湾 神止地区に飲料水 168個、電池 150個、赤飯 168個、牛肉缶詰 144個、おにぎり 150個を輸送
15時14分 回転翼機UH-60Jが長浜から桂島へ飲料水及び糧食を500Kg輸送
15時19分 回転翼機MH-53Eが霞目から大島まで飲料水6.5トンを輸送
15時45分 MH-53Eが霞目から大島へ飲料水6.5トンを輸送
15時50分 「なおしま」が宮城県尾浦地区の被災者180名に対し、主食缶詰288個、副食缶詰288個、日用品を提供
15時50分 「ちょうかい」が石巻萩浜中学校の被災者200名に飲料水190Lを提供
15時50分 「くろべ」が石巻市高白浜漁港に毛布30枚、医薬品、ガソリン20Lを輸送
15時55分 「くろべ」が石巻市野ノ浜漁港の被災者50名に対し、毛布30枚を提供
16時36分 13時57分からUHJ-72により柱島に物資輸送
17時49分 「おおよど」が広田湾に投錨し、1208から、灯油ドラム缶 60本、軽油ポリタンク 15個、空ポリタンク 265個、海水ポリタンク 20個を合計18回に分けて広田地区に輸送
(19日) 07時33分 「なおしま」が立浜地区へガソリン18L輸送
08時00分 横須賀警備隊が千葉県の被災者に対し62トンの給水支援を実施
08時01分 「とよしま」が立浜地区(龍澤寺)の被災者に対しガソリン18Lを提供
08時02分 「おおすみ」が宮城県大須小学校に缶飯288食、副食528食、たくあん缶詰96食、乾パン192食、飲料水440L、折りたたみリアカー1台、その他生活必要品を提供
08時19分 「ひゅうが」搭載回転翼機が大島中学校、浦島小学校等19箇所の被災者に対し軽油(ポリタンク×10)
08時26分 「ひゅうが」搭載回転翼機が県立自然の家の被災者に対し軽油(ポリタンク10×10)、缶飯96食、おにぎり236個を提供
08時39分 「さわゆき」が名足小学校の被災者に対し米100kg、その他日用品等を提供
「さわゆき」が大須小学校の被災者に対し灯油(ポリタンク×30)を提供
09時05分 「ひゅうが」衛生班が宮城県内8箇所(平成の森キャンプ場、名足小学校等)で被災者30名に対し診療等支援を実施
09時00分 SH-60Kにより松島へ生活関連物資(カップ麺103箱)を空輸
09時05分 「ひゅうが」衛生班が宮城県内6箇所(海洋青年の家、津の宮センター、滝浜等)で被災者72名に対し診療等支援を実施
09時16分 「にちなん」が石巻市大須小学校の被災者に対し米125kg、軽油540KLを提供
09時30分 US-2により厚木から松島へ生活関連物資(2.5t)を空輸
10時25分 「ひゅうが」搭載回転翼機が旧水浜小学校跡の被災者に対し缶飯600食、おにぎり236個、飲料水180L、缶ジュース398本、その他食料等を提供
10時50分 「ひゅうが」衛生班が渡波小学校の被災者113名に対し診療等支援を実施
10時46分 「くらま」が宮城県渡波小学校の被災者に対し缶飯288食、副食528食、たくあん缶詰96食、乾パン192食、飲料水440L、折りたたみリアカー1台、その他生活必要品を提供
10時50分 「おうみ」が渡波小学校の被災者に対し缶飯312食、乾パン192食、飲料水240本、その他日用品等を提供
10時52分 「さわゆき」が泊浜地区の被災者に対しおにぎり60個、飲料水120L、カップ麺84個、インスタントスープ1000個を提供
11時56分 「ひらしま」が小泉湾石浜地区石浜集会所等の被災者に対し米75kgを提供
11時57分 「たかなみ」搭載回転翼機が女川第3中学校の被災者に対しおむすび225個、飲料水432本を提供
12時03分 「とね」が南三陸町泊浜センターの被災者に対しガソリン10Lを提供
12時13分 「さわぎり」搭載回転翼機が田代島から陸自霞目駐屯地へ被災民3名を移送
12時16分 「おおすみ」が仙台塩釜港の被災者に対しアルファ米4800食、飲料水304箱、サバイバルフーズ6600食、毛布1700枚、灯油(ドラム缶70)を提供
12時32分 「あぶくま」が田代島の被災者に対し米200kg、飲料水1880L、ガソリン20L、軽油54L、その他日用品等を提供
12時46分 YS-11Tにより徳島から松島へ救援物資(6.4t)を空輸
12時46分 「あぶくま」が田代島の被災者に、ガソリン20L,水ポリタンク10個分(180L)、トイレットペーパー4箱(384ロール)、米200Kg,軽油54Lなどを提供
13時11分 「ひゅうが」搭載回転翼が原地区の被災者に対し缶飯336食、乾パン192個、毛布40枚、軽油(ポリタンク10×10)を提供
13時38分 「くらま」搭載回転翼機が網地島、田代島、桂島及び寒風沢島へ灯油ドラム缶10本を提供
13時44分 「くらま」が網地島の被災者に対し灯油(ドラム缶3缶)、給油ポンプ1台、ポリタンク5個を提供
「くらま」が寒風沢島の被災者に対し灯油(ドラム缶1缶)、給油ポンプ1台、ポリタンク2個を提供
13時55分 「くらま」が田代島の被災者に対し灯油(ドラム缶1缶)、給油ポンプ1台、ポリタンク3個を提供
14時00分 「とよしま」が雄勝クリーンセンターの被災者に対しガソリン18Lを提供
14時20分 「くらま」が柱島の被災者に対し灯油(ドラム缶2缶)、給油ポンプ1台、ポリタンク2個を提供
14時31分 「さわゆき」搭載HS-60K 76号機が名足小学校の被災者に対し、菓子パン550個、うどん(箱入り)4箱、カップ麺420個、水(520mlペットボトル)864本、シャツ60枚、解熱剤(箱入り)100箱、おむつ(セット)2セット、生理用品(セット)12セット、簡易トイレ3個などを提供
14時45分 「とね」が馬場・中山地区、名足地区、石浜地区の被災者に対し米133kg、缶飯104食、おにぎり150個を提供
14時55分 「ひゅうが」搭載回転翼機が平成の森キャンプ場の被災者に対し缶飯408色、おにぎり400個、ジュース510本、その他食料等を提供
15時02分 YS-11Mにより、岩国から八戸へ物資(毛布等)を空輸
15時10分 「たかなみ」搭載回転翼機が県立自然の家の被災者に対しパン100個、レトルトカレー200個を提供
15時19分 「くらま」が宮戸島の被災者に対し灯油(ドラム缶1缶)、給油ポンプ1台、ポリタンク2個を提供
15時45分 「ひゅうが」搭載回転翼機が県立自然の家の被災者に対し軽油(ポリタンク×2)を提供
15時58分 「ひゅうが」搭載回転翼機が志津川小学校の被災者に対し軽油(ポリタンク×4)を提供
16時04分 SH-60Kにより厚木から郡山へ救援物資を空輸
16時19分 「ひゅうが」搭載回転翼機が志津川高校の被災者に対し軽油(ポリタンク×1)、灯油(ポリタンク×4)を提供
16時21分 「たかなみ」搭載回転翼機が女川第3中学校の被災者に対しこめ00kg、パン400個を提供
16時38分 「さわゆき」搭載回転翼機が名足小学校の被災者に対し飲料水864本、菓子パン550個、即席麺420食、その他生活用品等を提供
17時03分 「ひゅうが」搭載回転翼機が大渡島中学校の被災者に対し軽油(ポリタンク×10)を提供
17時24分 「とね」が馬場・中山地区、名足地区、石浜地区の被災者に対し軽油190Lを提供
17時31分 「ひゅうが」搭載回転翼機が燦さん館の被災者に対し軽油(ポリタンク×5)を提供
17時35分 「おうみ」が渡波小学校の被災者に対し飲料水240本、毛布10枚を提供
17時38分 「さわゆき」搭載HS-60K 76号機が水浜保育所跡地の被災者に対し、カップ麺324個、シャツ60枚、簡易トイレ2個、などを提供
17時48分 「さわゆき」搭載回転翼機が水浜保育所跡地の被災者に対し即席麺324食、漬物4箱、その他日用品を提供
18時15分 「たかなみ」搭載回転翼機が志津川ベイサイドアリーナの被災者に対し飲料水432本、缶ジュース300本、即席麺2280食、味噌2樽を提供
20時37分 111空 気仙沼に1.5tの物品供与(生活用品)
他、細部確認中
(20日) 08時20分 「ゆら」が荻浜地区の被災者に対し、米40kg、ガソリン20L、乾パン640個、その他食料品等を提供
08時39分 「さわゆき」搭載回転翼機が名足小学校の被災者に対し米10kg、紙コップ160個を提供
09時22分 「ちょうかい」が網地島及び小網倉の被災者に対し、缶飯200食、乾パン256食、牛乳800パック、軍手188枚、タオル50枚、その他生活用品等を提供
09時38分 「おおよど」が小原木中学校の被災者に対し軽油40L、ガソリン40L、乾電池40本、粉石けん8個、手袋24組、サランラップ50本、ライト5個、フレキシブルライト5個を提供
10時20分 「ひらしま」が追波湾荒地区の被災者に対しガソリン20Lを提供
10時30分 「たかしま」が伊勢畑、上・下雄勝地区の被災者に対し毛布20枚、乾電池100個、懐中電灯を提供
11時50分 「おおよど」が長部コミュニティーセンターの被災者に対し軽油160L、ガソリン40L、乾電池360本、粉石けん120個、手袋216組、サランラップ150本、ライト45個、フレキシブルライト45個、残飯いれ10個及びその他生活用品等を提供
12時00分 「つきしま」、「まきしま」及び「くめじま」が大船渡湾にて海保測量船「昭洋」に対する航路港湾啓開支援を実施
12時20分 「さわゆき」搭載回転翼機が大須小学校の被災者に対し灯油540Lを提供
12時22分 「くろべ」搭載艇が女川原子力発電所地区の被災者に対し缶飯312食、割り箸144本、毛布20枚、その他生活用品等を提供
13時15分 「さわゆき」搭載艇が大須小学校の被災者に対し空ポリタンク38個の提供
13時56分 「はるさめ」搭載回転翼機が小原木小学校の被災者に対しトイレットペーパー100、シャツ14枚その他生活用品等を提供
14時09分 「はるさめ」搭載回転翼機が大島中学校の被災者に対しトイレットペーパー100、洗剤4、シャツ14枚その他生活用品等を提供
15時02分 「さわゆき」搭載回転翼機が原地区針岡第1原会館の被災者に対しおにぎり400個、カップめん180個、水240L、灯油540L、毛布25枚、菓子パン200個を提供
15時25分 「おおよど」搭載艇が赤牛漁港付近の住民の要請により、陸揚げ中の漁船の普及作業支援を実施
16時19分 「さわゆき」搭載回転翼機が雄勝中学校の被災者に対し、米40kg、カップ麺528個、水228L、灯油180L、菓子パン200個、解熱剤100箱、その他生活用品等提供
17時38分 「さわゆき」搭載回転翼機が名足保育所の被災者に対し、菓子パン100個、シャツ80枚、オムツ12箱、カップ麺180個、トイレットペーパー96箱、離乳食28、その他生活用品等提供
(21日) 07時00分 海自艦艇「くにさき」が救援物資(飲料水500ml×約49万本等)を積載し、横須賀から被災地へ向け出港
他、細部確認中

空 自
(11日) 18時10分 三沢ヘリ、陸前高田で11名を救助完了
18時48分 陸前高田の高台へ11名の救助者を御下
(12日) 08時41分 第1輸送航空隊(小牧)のC-130×1機がDMAT要員約65名を花巻へ輸送。
08時51分 第3輸送航空隊(美保)のC-1×1機がDMAT要員約40名を輸送。
09時30分 第1輸送航空隊(小牧)のC-130×1機がDMAT要員約65名を花巻へ輸送。
09時40分 三沢ヘリ空隊CH-47×1機が10回の空中消火及び要救助者30名を収容。
10時36分 三沢ヘリ空隊CH-47×1機が岩手県下閉伊郡山田町の43名を救助。
12時40分 第3輸送航空隊(美保)のC-1×1機がDMAT要員約30名を輸送。
23時33分 第2輸送航空隊(入間)がDMAT8名を羽田から福島まで輸送。
(13日) 06時07分 百里救難隊の回転翼3機が阿武隈川付近で計47名を救助
06時45分 新潟救難隊の回転翼が南気仙沼で10名を救助
06時50分 空教団が回転翼で要救助者20名を収容。阿武隈川で要救助者20名を移送完了。
07時32分 航空支援集団の回転翼が要救助者20名を収容
07時39分 航空支援集団の回転翼が要救助者84名を収容
08時20分 新潟救難隊の回転翼が救助者69名を気仙沼小学校に搬送
09時18分 航空支援集団の回転翼が要救助者66名を気仙沼へ移送完了
12時51分 空教団が回転翼が岩手県下閉伊郡山田町で要救助者18名救出完了
13時40分 秋田救難隊が回転翼が岩手県下閉伊郡山田町で要救助者12名救出完了
14時20分 航空支援集団の回転翼が36名搬送完了
(14日) 06時45分 百里救難隊の回転翼が12名救出
07時03分 回転翼が東浜小学校で高齢者2名救助
07時17分 回転翼が東浜小学校で8名救出
08時34分 秋田救難隊の回転翼が石巻郵便局要救助者10名収容
08時45分 三沢ヘリ隊が湊中学校で41名収容完了
08時55分 入間ヘリ隊が石巻第2小学校より17名を搬送
12時03分 百里救難隊がよりいそ小学校で要救助者11名(大人7名、子供4名)の収容完了
15時34分 第1輸送航空隊(小牧)が救援物資の毛布5000枚を福島空港に輸送
20時34分 第2輸送航空隊(入間)が救援物資の糧食600箱を新潟へ輸送
(15日) 07時00分 北空 大槌トンネル付近地上での消火活動開始
07時13分 CH-47J消火活動開始(大槌トンネル)
09時54分 北空第1派遣隊 折笠地区消火活動開始
13時57分 航空支援集団司令部(府中)が気仙沼での孤立者80名を空輸
16時20分 CH-47J×1機消火活動終了(天候悪化のため)
18時37分 原発給水部隊 福島県庁到着
22時06分 第2輸送航空隊C-1×1機(入間)が非常糧食(カップ麺)を花巻に4200個、福島に1500個輸送
22時19分 第2輸送航空隊C-1×1機(入間)が消火バケット輸送のため百里に向け名古屋発
22時57分 第1輸送航空隊KC-767×1機及びC-130×1機(小牧)、第3輸送航空隊C-1×1機(美保)が非常糧食(パン)18万2000食を花巻に空輸
※15日を通じて、航空支援集団(府中)の回転翼が石巻市で187名、東松島市で8名孤立者等を空輸
(16日) 07時00分 北空 大槌トンネル付近地上での消火活動開始
08時11分 UH-60J 捜索救難のため千歳離陸
08時17分 U-125A 捜索救難のため千歳離陸
08時22分 第1輸送航空隊C-130×1機が物資輸送のため入間離陸
第3輸送航空隊C-1×1機が糧食輸送のため広島到着
08時46分 第1輸送航空隊C-130H×1機が物資輸送のため百里到着
09時37分 第1輸送航空隊C-130H×1機が水輸送(10トン)のため花巻到着
10時04分 第3輸送航空隊C-1が水輸送(5.2トン)のため花巻到着
15時32分 第1空輸隊C-1×1機が物資輸送(カンテラライト及び糧食3.2トン)のため松島着陸
15時39分 第3輸送航空隊C-1×1機が糧食輸送のため入間離陸
16時17分 第3輸送航空隊C-1×1機が水輸送のため福島着陸
16時20分 北空:山田第1派派遣 毛布配布完了、豊間根生活改善センター200枚、豊間根中学校580枚、豊間根小学校350枚、自治交流センター40枚(合計:1170枚)
16時39分 第3輸送航空隊C-1×1機が救援物資(マドレーヌ3.2トン)空輸のため花巻到着
17時38分 第1輸送航空隊C-130Hが水輸送(13.4トン)のため福島到着
18時34分 第1輸送航空隊C-130Hが水輸送(10トン)のため福島到着
18時53分 第3輸送航空隊C-1が糧食30000食(3.3トン)を百里に輸送
19時13分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(糧食3.6トン)空輸のため百里到着
19時30分 第1航空輸送隊C-1×1機(小牧)が糧食30000食を百里基地に輸送
23時00分 小牧空港から福島空港にKC-767×1機 糧食158000食を輸送
23時45分 第1輸送航空隊C-130Hが救援物資(毛布2000枚)空輸のため福島到着
他、細部確認中
(17日) 06時15分 大滝根炊き出し部隊が田村市船引高校にて炊き出し開始
07時04分 第3輸送航空隊C-1が救援用器材(防護セット)(1.3トン)を百里に輸送
07時10分 北空山田作業隊(人員9名、車両2台)山田漁港から国道45号線までのガレキ除去
07時11分 第1輸送航空隊C-130H×1機が救援物資(医療品16トン、糧食4トン)を福島空港に輸送
08時40分 山田第1派遣隊(カーゴ1台、人員30名)北浜地区の人命救助とガレキ除去
10時57分 第1輸送航空隊C-130H×1機が救援物資(8.5トン)を花巻空港に輸送
11時32分 第2輸送航空隊C-1×1機が救援物資(3.9トン)を花巻空港に輸送
11時47分 第1輸送航空隊C-130H×1機が救援物資(水)を花巻空港に輸送
12時57分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(毛布、水、紙オムツ)空輸のため福島着陸
13時46分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(防護マスク、防護衣、米)空輸のため福島着陸
14時33分 第2輸送航空隊C-1が救援物資(ビスケット)空輸のため福島着陸
15時31分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(カーゴローダー、毛布)空輸のため松島着陸
16時15分 第1輸送航空隊C-130が救援物資空輸のため松島着陸
16時19分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(水)空輸のため花巻着陸
16時36分 第1輸送航空隊C-130が救援物資空輸のため松島着陸
17時26分 第2輸送航空隊C-1が救援物資(防護マスク、ガスフィルタ)空輸のため花巻着陸
17時40分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(水)空輸のため花巻着陸
(18日) 06時13分 第1輸送航空隊KC-767×1機が小牧から福島へ救援物資(おにぎり及びパン)を空輸
07時56分 第2輸送航空隊C-1が救援物資(カップ麺)空輸のため松島到着
07時56分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(おにぎり、パン)空輸のため福島着陸
08時20分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
08時27分 第3輸送航空隊C-1が救援物資(パン)空輸のため花巻着陸
08時31分 第2輸送航空隊C-1が救援物資(カップ麺)空輸のため松島着陸
08時51分 那覇ヘリCH-47J×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺及び燃料)を空輸
09時00分 第3輸送航空隊C-1×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
09時27分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(水)空輸のため松島着陸
09時45分 第1輸送航空隊C-130が救援物資(水)空輸のため松島着陸
09時54分 那覇ヘリCH-47が救援物資(カップ麺)空輸のため松島着陸
他、細部確認中
11時07分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
11時52分 第3輸送航空隊C-1×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布、水、紙おむつ)を空輸
12時36分 第3輸送航空隊C-1×1機が名古屋から花巻へ救援物資(パン)を空輸
13時02分 第3輸送航空隊C-1×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
13時08分 第3輸送航空隊C-1×1機が名古屋から福島へ救援物資を空輸
13時21分 第1輸送航空隊C-130×1機が小牧から花巻へ救援物資(パン)を空輸
13時24分 入間ヘリCH-47J×1機が、患者等13名を庄内空港へ空輸
14時17分 第1輸送航空隊C-130×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
14時32分 第1輸送航空隊C-130×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
14時39分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
15時01分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
15時27分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(カップ麺)を空輸
15時37分 入間ヘリCH-47J×1機が、患者等9名を庄内空港へ空輸
15時52分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から福島へ救援物資(パン)を空輸
16時07分 飛行開発実験団C-1×1機が岐阜から花巻まで支援物資輸送
16時17分 三沢ヘリCH-47J×1機が、患者等を庄内空港に空輸
16時20分 入間ヘリCH-47J×1機が、庄内から松島へ救援物資(糧食等)を空輸
17時33分 三沢ヘリCH-47J×1機が、庄内から松島へ患者を空輸
18時21分 第2輸送航空隊C-1×1機が小牧から花巻へ救援物資を空輸
18時48分 第1輸送航空隊C-130×1機が千歳から花巻へ救援物資(おにぎり、米)を空輸
22時26分 第2輸送航空隊C-1×1機が福岡から松島へ救援物資を輸送
(19日) 05時57分 第1輸送航空隊KC-767×1機が名古屋から福島へ救援物資を空輸
08時59分 第1輸送航空隊C-130H×1機が名古屋から松島へ救援物資を空輸
09時18分 第1輸送航空隊C-130H×1機が名古屋から花巻へ救援物資(パン)を空輸
10時03分 第3輸送航空隊C-1×1機が名古屋から花巻へ救援物資(紙おむつ、簡易トイレ)を空輸
10時47分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から花巻へ救援物資(乾パン)を空輸
10時50分 第3輸送航空隊C-1×1機が福岡から福島へ救援物資(民生救援支援物品)を空輸
11時02分 第1輸送航空隊C-130H×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布、紙おむつ及び簡易トイレ)を空輸
11時24分 新潟救難隊UH-60J×1機が宮城病院から高田駐屯地へ患者2名を空輸
11時25分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(灯油及び糧食)を輸送
11時35分 飛行開発実験団C-1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(ブルーシート)を輸送
11時55分 第1輸送航空隊C-130H×1機が三沢から松島へ救援物資(水)を空輸
11時52分 第2輸送航空隊C-1×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布、紙おむつ及び簡易トイレ)を輸送
12時14分 新潟救難隊UH-60J×1機が高田駐屯地から新潟基地へ患者2名を空輸
12時22分 那覇ヘリコプター空輸隊CH-47J×1機が入間から松島へ救援物資(灯油)を空輸
12時29分 第2輸送航空隊C-1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(特殊ミルク)を輸送
13時41分 第1輸送航空隊C-130H×1機が千歳から花巻へ救援物資(水及び米)を空輸
13時58分 第3輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(燃料)を空輸
14時40分 入間ヘリコプター空輸隊CH-47J×1機が入間から松島へ救援物資(灯油)を空輸
15時02分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(もち)を輸送
15時04分 第1輸送航空隊C-130H×1機が千歳から花巻へ救援物資(米)を空輸
15時21分 第1輸送航空隊C-130H×1機が小牧から花巻へ救援物資(パン)を空輸
15時26分 新潟救難隊UH-60J×1機が宮城病院から高田駐屯地へ患者2名を空輸
15時54分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から福島へ救援物資(流動食)を輸送
15時59分 百里救難隊UH-60J×1機が石巻市内避難所から石巻日赤病院まで患者(6か月乳幼児、親及び医師)空輸
16時07分 第1輸送航空隊C-130H×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
17時11分 第2輸送航空隊C-1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(簡易トイレ及び水)を輸送
17時37分 第1輸送航空隊C-130H×1機が入間から福島へ救援物資(もち及びパン)を空輸
18時33分 第3輸送航空隊C-1×1機が小牧から福島へ救援物資(民生救援支援物品)を空輸
18時40分 新潟救難隊UH-60J×1機が宮城病院から新潟基地へ患者1名を空輸
19時13分 第1輸送航空隊C-130H×1機が小牧から福島へ救援物資(流動食)を空輸
20時09分 第3輸送航空隊C-1×1機が小牧から福島へ救援物資(もち)を空輸
20時30分 第1輸送航空隊C-130H×1機が小牧から福島へ救援物資(流動食)を空輸 
20時55分 第1輸送航空隊C-130H×1機が小牧から福島へ救援物資(水、医療品及び流動食)を空輸
(20日) 08時31分 百里救援隊 UH-60J×1が田代島から松島へ医療チーム(9名)を空輸
08時40分 2輸空隊C-1×1が入間から松島へ救援物資(簡易トイレ)を空輸
08時58分 2輸空隊C-1×2が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
09時03分 飛実C-1×1が岐阜から花巻へ救援物資(トイレットペーパー、水)を空輸
09時11分 2輸空隊C-1×1が入間から福島へ救援物資(カップ麺)を空輸
09時25分 2輸空隊C-1×1が入間から福島へ救援物資(カップ麺)を空輸
09時32分 北空第2派遣隊が要救助者の女性1名を発見
10時34分 3輸空隊C-1×1が岐阜から花巻へ救援物資(トイレットペーパー、水)を空輸
他、細部確認中
11時24分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から福島へ救援物資(カップ面)を空輸
11時37分 入間ヘリコプター空輸隊CH-47J×1機が入間から松島へ救援物資(食糧及び燃料)を空輸
11時49分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から福島へ救援物資(カップ麺)を空輸
12時19分 第1輸送航空隊C-130H×1機が千歳から松島へ救援物資(水、医療品)を空輸
12時25分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から福島へ救援物資(カップ麺)を空輸
12時35分 飛行開発実験団C-1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(トイレットペーパー、簡易トイレ、紙おむつ)を空輸
12時47分 第3輸送航空隊C-1×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布)を空輸
13時16分 第3輸送航空隊C-1×1機が福岡から福島へ救援物資(毛布)を空輸
14時13分 第2輸送航空隊C-1×1機が千歳から福島へ救援物資(水)を空輸
14時16分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
14時36分 第3輸送航空隊C-1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(簡易トイレ、トイレットペーパー及び紙おむつ)を空輸
14時49分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
15時25分 第2輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
15時48分 第3輸送航空隊C-1×1機が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
16時23分 第2輸送航空隊C-1×1機が千歳から松島へ救援物資(水)を空輸
17時51分 入間ヘリコプター空輸隊CH-47J×1機が入間から松島へ救援物資(ドラム缶)を空輸
19時14分 第1輸送航空隊C-130H×1機が名古屋から花巻へ救援物資(パン)を空輸
19時58分 第2輸送航空隊C-1×1機が福岡から松島へ救援物資(毛布等日用品)を空輸
20時22分 第1輸送航空隊C-130H×1機が名古屋から花巻へ救援物資(パン)を空輸
21時55分 第1輸送航空隊KC-767×1機が名古屋から福島へ救援物資(パン及びレトルト食品)を空輸
(21日) 09時27分 第1輸送航空隊C-130H×1機が千歳から福島へ救援物資(牛乳)を空輸
09時44分 飛行開発実験団C-1×1機が岐阜から花巻へ救援物資(民生品)を空輸
10時20分 第1輸送航空隊C-130H×1機が千歳から福島へ救援物資(牛乳、CRフィルター)を空輸
10時28分 第1輸送航空隊C-130×1機が岐阜から花巻まで救援物資(民生品)を空輸
10時54分 第1輸送航空隊C-130×1機が名古屋から福島まで救援物資(パン、燃料ポンプ)を空輸
11時04分 第1輸送航空隊(C-130×1機が岐阜から花巻まで救援物資(民生品)空輸他、細部確認中

○原子力災害派遣による活動
(11日) 21時20分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)が駐屯地を出発。
(12日) 02時05分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)が矢板ICへ到着。
02時25分 東京電力のケーブルを輸送するための第1ヘリコプター団のCH47×3機が霞ヶ浦飛行場へ到着。到着後、ケーブルを搭載し、福島第2原子力発電所へ輸送予定。
03時35分 中央特殊武器防護隊(大宮)の副隊長含む2名が福島第一原発付近のオフサイトセンターへ到着
04時50分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)が白河ICへ到着。じ後、オフサイトセンターへ向け前進。
06時14分 航空支援集団(府中)が福島第1原発へバッテリーを空輸
06時48分 東北方面隊の人員約100名、車両50両がオフサイトセンターに向け福島駐屯地を出発。(活動場所は、確認中。)
08時30分 中央特殊武器防護隊(大宮)の車両7両(化学防護車×4両を含む)がオフサイトセンター到着。
20時00分 CH-47×3機、UH-1×3機をもって、双葉町老人福祉会館及び厚生年金病院の寝たきり・要介護老人等約200名を川俣町農村広場へ空輸。
20時34分 CRF(朝霞)のUH-3機、CH47×3機が福島第1原発周辺住民の避難輸送を終了。
22時07分 第1輸送航空隊(小牧)のC-130×1機が冷水ポンプ用のモーター3個を福島へ輸送。じ後、陸上自衛隊の車両で輸送。
(13日) 08時05分 原発冷却水支援のため、北部航空方面隊、中部航空方面隊、航空総隊直轄部隊の水タンク車9台が四倉町到着
10時50分 第12化学防護小隊が二本松で除染対象者40数名のうち約半数を除染完了
13時37分 CRFの回転翼が空中モニタリングのため木更津駐屯地を離陸
13時56分 CRFの回転翼が空中モニタリングのため大宮に着陸
14時00分 第12化学防護小隊が二本松の除染所において除染対象50名の除染
15時15分 CRFの回転翼が空中モニタリングのため大宮を離陸
15時55分 CRFの回転翼が空中モニタリング一時中止
17時57分 空自給水車両10両が福島第2原発に到着、作業開始
17時58分 CRFが福島第2原発での給水作業を開始
20時28分 空自による福島第2原発での給水作業終了
(14日) 01時00分 中央特殊武器防護隊(大宮)が川俣町体育館において住民100名に対して除染
01時30分 空自による福島第2原発での給水作業(第2回目)再開
05時00分 空自による福島第2原発での給水作業(第2回目)終了
06時45分 福島第2原発に対する給水活動継続実施中
12時34分 福島第2原発で人員50名が給水活動を実施中
15時00分 第12飛行隊が福島第1原発20km圏内の要救助者の空輸を再開
20時56分 福島第1原発2号機が危険な状態のため、オフサイトセンターから郡山駐屯地へ移動(但し、CRF副司令以下14名はオフサイトセンターに残留)
※福島第1原発3号機の爆発により自衛隊員が4名負傷
(15日) 08時15分 回転翼による空中モニタリング終了(女川原発付近)
15時52分 冷却水注入に必要なポンプ燃料の第2原発への輸送完了
16時30分 回転翼による空中モニタリング終了 (横須賀教育隊付近)
16時46分 福島県庁で中央特殊武器防護隊27名が除染終了
18時35分 除染部隊 県庁から郡山駐屯地へ撤収
22時20分 福島県立医大病院に、中央特殊武器防護隊15名で除染所を設置
(16日) 22時36分 原発空中消火のための回転翼 霞目基地到着
23時20分 原発放水支援部隊 Jビレッジより郡山駐屯地に到着
他、細部確認中
(17日) 09時14分 モニタリング機(UH-60×1)、福島第1原発へ向けJ-ビレッジを離陸
09時48分 CH-47が福島第1原発3号機に散水(1回目)
09時53分 CH-47が福島第1原発3号機に散水(2回目)
09時56分 CH-47が福島第1原発3号機に散水(3回目)
10時00分 CH-47が福島第1原発3号機に散水(4回目)
16時14分 消防車Gp Jビレッジ出発 原発へ 消防車5、化防車2、小型1、マイクロ(東電)1 合計9両
17時37分 自衛隊の消防車×5及びその他の関係車両が第一原発正門に到着
19時35分 自衛隊の消防車による福島第1原発3号機への放水開始
20時07分 自衛隊の消防車による福島第1原発3号機への放水(5回)終了
(18日) 13時54分 モニタリング機(UH-60×1機)J-ビレッジに着陸
14時00分頃 自衛隊の消防車により福島第1原発3号機に放水開始
14時38分 自衛隊の消防車により福島第1原発3号機に放水終了
20時20分 第7化学防護隊主力が郡山駐屯地に到着
21時10分 第5化学防護隊が郡山駐屯地に到着
(19日) 06時47分 CH-47(サーモグラフィ・放射線測定機搭載)×1機による福島第1原発上空モニタリング終了
19時35分 福島第1原発(東電)で使用予定の投光機×25をJビレッジに輸送
(20日) 08時20分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水開始
08時59分 RF-4×1機が福島第1原発の航空偵察のため百里を離陸(09時33分百里着陸)
09時09分 RF-4×1機が福島第1原発の航空偵察のため百里を離陸(09時42分百里着陸)
09時29分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水完了
18時20分 がれき除去用の74式戦車×2台及び78式戦車回収車×1台(大型セミトレーラに積載)駒門駐屯地出発
18時22分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水開始
19時43分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水完了
(21日) 06時10分 がれき除去用の74式戦車×2台及び78式戦車回収車×1台(大型せみトレーラに積載)Jビレッジに到着
06時37分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水開始
08時41分 自衛隊の消防車による福島第1原発4号機への放水完了


19日の夜にネット上のニュースで1件漏れているのがありました。過去のニュースなのでご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、震災及び原発事故とは直接関係はありませんが、内容的に気になるのであえてここにUPしておきます!!

大震災に乗じて尖閣奪取を=「中国の好機」と香港紙
香港時事】香港紙・東方日報は19日の論評で、日本が大震災で混乱している機に乗じて、中国は尖閣諸島(中国名・釣魚島)を奪取すべきだと主張した。

香港では日本に対する支援ムードが広がっており、同紙のこうした主張は異色。論評は「中国が釣魚島を奪回するには、コストとリスクを最小限にしなくてはならず、今が中国にとって絶好のチャンスだ」との見方を示した。

論評は「日本が強い時、中国は手出しができず、日本が弱っても手を出そうとしないのであれば、釣魚島はいつ取り戻せるのか」と訴えている。 

まあ、中国内の一部の感情的な意見は予想に難しくないのですが、こうして記事で読むと一寸腹だ立しい気持ちになりますね!!(怒)

では気を取り直して、次は本日の東日本大震災に関係すると思われるニュースを見出しと幾つかの記事をUPしてあります。または、その一部を参考までにを抜粋してあります。見出しの下に私の個人的な感想を少々書き込んでありますが、此れは無視して頂いて結構です!

栃木・群馬でもホウレンソウから放射性物質検出
東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け実施した食品のサンプル調査で、栃木県でも宇都宮市など4市町のホウレンソウから暫定規制値の最大約2・8倍の放射性ヨウ素や、規制値の1・6倍にあたる放射性セシウムが検出された。

栃木県は20日、農業団体に対し、出荷品の自主回収と今後の出荷自粛を要請した。

群馬県でも規制値をやや上回る放射性ヨウ素などがホウレンソウから検出された。

でも、今朝のニュースでは専門家が普通に食べても問題はないと言っていたのだけど、それでも出荷自粛というのも釈然としませんが・・・。

福島県飯舘村で水道水から基準の3倍の放射性物質、飲用控えるよう要請
厚生労働省は21日、福島県飯舘村の水道水から1キロ当たり965ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたと発表した。原子力安全委員会が定めた摂取制限基準の3倍超にあたる。

厚労省は同日、水道水を飲むことを控えるよう、同村に要請した。一方で、「手洗い、入浴などの生活用水としては利用可能。他に水がない場合は飲んでも差し支えない」と冷静な対応を呼びかけている。

だから、どっちなんだ・・・!?こうした場合は、はっきり言ってくれないと困るよね。

福島県沖を震源、二本松など震度4
気象庁によると震源の深さは約30キロで、マグニチュードは4・7推定される。津波の心配はないという。

でも、怖いよね!?

<東日本大震災>浅草・三社祭が中止に
東日本大震災の影響で、東京・下町の初夏の風物詩として知られる浅草神社(東京都台東区)の「三社祭」(5月20~22日)の中止が20日、決まった。神輿(みこし)の渡御は行わず、被災地の復興祈願の神事のみ行う。氏子らで作る主催者の「浅草神社奉賛会」が緊急役員会で「未曽有の大災害で通常通りの祭りを行う情勢ではない」と判断した。同会によると災害を受けての中止は初めて。

はい、その通りです。よっ、江戸っ子だね~!!

すき間に217時間…冷蔵庫の飲料で飢えしのぐ
がれきの下におばあちゃんがいる――。

死者・行方不明者が2万人を超えた東日本巨大地震で20日、宮城県石巻市のがれきの中から2人の生存者が見つかった。倒壊した家屋のわずかな隙間で、217時間にわたって厳しい寒さや飢えをしのいだ80歳の祖母と16歳の孫だった。地震発生から9日ぶり。「必ず生きていると信じていた」。救出を聞いた家族は目を潤ませた。

2人が見つかったのは、石巻湾から旧北上川を約1キロ上った川沿いの地区。同市門脇町、阿部寿美(すみ)さん(80)と孫の高校1年任(じん)さん(16)がつぶれた家屋の中に閉じ込められていた。震災前は住宅街だったこの地区は現在、家屋の屋根や柱、倒れた電柱などが1~2メートルの高さまで重なり合うがれきの山が広がり、電気も寸断されている。

宮城県警石巻署員が、倒壊した家屋の屋根の上から助けを求めていた少年に気づいたのは午後4時頃。署員が、がれきをかきわけて近づいていくと、この日、津波でつぶされた家屋からようやく脱出した任さんがいた。ジャージーの上下にバスタオルを重ねて体に巻きつけ、寒さに震え、衰弱していた。

「うちにおばあちゃんがいます。助けて下さい」。任さんの訴えを聞いた署員が家屋内を捜すと、倒れたクローゼットの上に敷いた布団の中の寿美さんを見つけた。

2人はヘリでつり上げられ、同市の石巻赤十字病院に搬送された。寿美さんは、はだしでぐったりした様子。任さんは左足が少しはれており、軽い凍傷などの疑いがあるが、2人とも意識ははっきりしており、寿美さんは病院職員が「よかったね」と声をかけると、「んだからね(そうだね)」と答えていたという。

同病院の医師らによると、阿部さん方は6人家族。地震当時、自宅にいたのは寿美さんと任さんの2人だけだった。2階の台所で食事中に津波が押し寄せ、2階まで浸水。食器棚や冷蔵庫が倒れ、2人は台所にできた、わずかな隙間に逃げ込んだ。そばにあった冷蔵庫に残っていたヨーグルトやコーラ、水などで飢えをしのいでいたという。3日目に任さんが隣の部屋にあったぬれていない毛布を取りに行き、体をくるんで温めた。

気象庁によると、地震発生後の石巻市の気温は、計器の損傷などで19日までデータがなく不明だが、同じ宮城県の仙台市では、最低気温が氷点下となった日が7日、降雪も4日あった。
「生きている信じていた」 寿美さんの息子で、任さんの父親の明さん(57)は同病院で記者会見し、「助けていただいて、ありがとうございます。必ず生きていると信じていた。あきらめないというのは大事なことですね」と目を潤ませた。一方、明さんは「私たちだけが、こんな幸せを味わうのは申し訳ない。何ができるか、家族で話し合いたい」とも語った。

明さんによると、地震翌日の3月12日午前9時頃、首都圏にいた長男(21)が寿美さんの携帯電話にかけたところ、電話口に任さんが出た。「うちは全滅したけど、台所だけは無事で、今、そこにいる」。電話はわずか50秒で切れたという。

家族で自宅近くを捜したり、避難所を回ったりしたが、2人を見つけられず、警察に捜索願を出していた。病院で対面した2人は、明さんが「頑張ったね」と声をかけると黙ってうなずいていたという。

幼なじみで阿部さん宅によく遊びに行っていたという同級生の阿部滉希さん(16)は、救出の報を聞き、「本当によく頑張った。任が帰ってきたら、思いっきり褒めてやりたい」と喜んでいた。

よかったね。本当によかったね!

放水続行、電源復旧急ぐ=核燃料プールから炉心対策へ-福島第1原発
東日本大震災で危機的状況にある東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)では、東京消防庁や自衛隊が21日、3、4号機の使用済み核燃料プールへの放水を続け、東電は2号機を中心に電源復旧を急いだ。経済産業省原子力安全・保安院は、2号機の中央制御室の空調や一部計器類が同日中に復旧の可能性があるとしている。
現場周辺は雨が降っており、大気中を浮遊していた放射性物質が落ち、一時的に放射線量が増える恐れがある。

東京消防庁などは21日午前4時ごろまで、3号機プールに6時間半放水。自衛隊は同6時40分ごろから4号機プールへの放水を約2時間続けた。これまでの放水で原子炉の横にあるプールの水量が増え、水温も低下。損傷した燃料棒からの放射線も減衰傾向にあると期待される。
プールの水位を維持できれば、今後は1~3号機の外部電源を復旧させ、原子炉を本来の冷却装置で安定して冷やせるかが焦点となる。現在は消防ポンプを使い、海水を消火用配管を通じて炉心の圧力容器に注入し続けている。

東電は原子炉圧力容器を覆う格納容器の一部が損傷した可能性が高い2号機の電源復旧を急ぎ、東北電力送電線からの外部電源を中央制御室に通すため、各種機器の点検作業を行った。配電盤まで受電した2号機から1号機に電気を流せるようにする作業や、3、4号機にケーブルを引き込む作業もしている。21日午前11時半すぎには、5号機も配
電盤まで受電。6号機にも電気が流せる状態になった。

静岡県御殿場市の陸上自衛隊駒門駐屯地から派遣された戦車は、放水活動の障害となっているがれきの撤去作業を行った。 

頑張れ74式!!最後のご奉公だ。

ヨウ素剤配布で混乱、誤った服用指示も
各地で観測されている放射線レベルでは健康には問題がないが、国と自治体の方針が一致せず、混乱が広がっている。

19日には、世界保健機関の緊急被曝医療協力研究センター長の山下俊一・長崎大教授が県の災害対策本部を訪れ、報道陣に対し「放射能のリスクが正しく伝わっていないが、今のレベルならば、ヨウ素剤の投与は不要だ」と話した。

結局の所、政府や行政が被災地域の住民から信用されていないから、こう言う事になるんだろうな・・・!?

Jリーグは4・29再開 東京・東北電力管内はデーゲーム変更へ
4月29日には照明を必要とする午後4時以降開始の試合が5試合あるが、計画停電が行われている東北・東京電力管内ではデーゲームに変更するなど節電に配慮する見込み。多くの集客が見込める時期に再開することで、復興ムードを高められるメリットもある。

何処かのプロ野球も、考えないとね・・・!?

撤去できぬ漂着物、復興の壁…法の弾力運用必要
東日本巨大地震の被災地では、法律やルールの不備、平時を想定した規定の硬直的な運用、さらには、国などが明確な指針を示さなかったり、システムがなかったりすることが、被災者支援や復旧に向けた活動にブレーキをかけることもある。

「うちの敷地に流されてきた、誰かの車や家財道具がある。処分していいか」

宮城県環境対策課には、こうした相談が相次いでいるという。担当者は「止めもしないし、お勧めもしない」と戸惑いを隠せない。

見た目には「ゴミ」「廃棄物」であっても、当事者が「財産だ」と主張する可能性がある。一方的に行政の判断で処分を認めたり、代わって処分したりすれば、財産権侵害として訴訟に発展する可能性もなくはない。だが、「一つ一つ所有者を確認していたら、復旧作業に手が回らない」(担当者)のが現実だ。

がれきの撤去については、処分予定を前もって公告し、一定期間内に所有者から何も反応がなければ処分できるようにするなどの方法が模索されている。「『財産権を侵害した』などと言われないような法制度を整備してもらいたい。前例のない事態だけに困る」と、県の担当者は国に苦言を呈する。

前例の無いことに対して、行政はその機能を度々麻痺させるのは何時もの事であるが、今回はちょっと同情するかも?ただ、個人的にはお互い様なのである程度の期間を過ぎれば処分しなければラチが明かないと思うのだが!?

原発「冷温停止」に道 冷却装置復旧へ着手 二次被害防止に注力
最初に復旧を目指すのは、建屋内の照明だ。窓もなく密閉された建屋は、原子炉をコントロールする中央制御室も真っ暗な状態にある。放射線量の上昇で常駐できない状態になっており、定期的に数値を確認する際も、懐中電灯による困難な作業を強いられてきた。照明が復旧すれば作業効率は格段に向上する。

次のステップが、制御室の計測機器類の復旧だ。これまで必要最低限のデータを得るためにバッテリーで一部の計器を動かしていたが、「電圧が不安定で狂っている可能性があった」(東電)。復旧すれば、正確なデータを得られ、より早く具体的な対策がとれるようになる。

最も重要なステップが、圧力容器内や使用済み燃料貯蔵プールの水を循環させる冷却システムの復旧だ。循環させるためのモーターやポンプは微弱な電気を流し正常に動くか点検する。故障があれば、修理や交換を行い、すでに交換用のポンプも一部用意している。

問題は放射線量が高く作業ができない場所にあるポンプが故障していたり、交換の難しいパイプが損傷していたりした場合だ。

中央制御室が復旧すれば、監視装置が警報を発するが、どこに損傷があるかは把握できないという。このため、「冷却システムを実際に動かしてみて、圧力などの数値から故障や損傷の場所を探っていく」(同)。修理や交換が困難だと、別系統のルートで代替するなどの対策を迫られ、復旧には時間がかかる。

そして最後のステップが、循環している水をパイプの外から海水で冷やす熱交換システムの復旧だ。冷却用の水は、炉心やプールの燃料によってどんどん温度が上昇していく。このため、長い管状のパイプを通し外から海水で冷やす。海水も高温になるため、ポンプで海から循環させる。海水循環の設備は、海岸近くにあり、津波の被害を受けている可能性がある。ただ、震災時に停止中で原子炉に燃料が残っていた5、6号機で相次いで復旧し20日に冷温停止の状態になった。東電は1~4号機でも海水循環設備の点検を急いでいる。

・・・だから、こうした情報が出てくるのが遅くないですか?本来は、復旧作業が始まった時点で国民に開示すべきなのに今頃になってとは・・・!?逆に、遅くなった理由を聞いてみたいですね!!(怒)

岩手、宮城、福島で宅配便再開=ヤマト運輸
頑張ってますね!ヤマト。佐川は・・・?

連休なのに…箱根は閑散、東日本大震災の影響色濃く/神奈川

関西首長「西から東を、日本を元気に」過剰自粛に『待った!』
京都市は25日から二条城で予定していたライトアップを規模は縮小するが実施する。門川大作市長は「過度な節電は、経済を停滞させる」と強調。「多くの人を引きつける行事はしっかりと行い、人々の心を癒すとともに、収益をあげて寄付につなげたい」と語る。

震災に、影響の少ない地域では当然でしょうね。それなりの配慮があるならOKだと思います!

死者・行方不明者2万1911人 21日正午現在 警察庁

ジャンボ機250機分の波、世界一の防波堤破壊

東電、21日は夕方以降も計画停電実施せず
計画停電を見送るのは、午後3時20分~7時の第2グループと、午後6時20分~10時の第3グループ。同日夕は首都圏の気温が低くなり、暖房などの電力需要は約3400万キロ・ワットまで増える見通しだが、定期点検中だった五井火力発電所(千葉県)の稼働などで供給力を3550万キロ・ワットまで確保できる見通しとなり、計画停電を回避できると判断した。

東電、頑張ってるな!!

少年「先におばあちゃんを」=気遣い感心と警察官―震災10日目救出―宮城・石巻市
宮城県石巻市で20日、東日本大震災から10日目に倒壊家屋から阿部寿美さん(80)と孫の高校1年任さん(16)を救出した県警石巻署員の清野陽一巡査部長(43)ら4人が21日、同署で記者会見した。任さんは体力が消耗する中、「先におばあちゃんを助けて」と話したという。
任さんを発見した際、署員らには寿美さんの所在が分からなかった。清野巡査部長は「おばあちゃんを気遣う言葉が最初に出た。とても謙虚な少年だ」と感心した。
清野巡査部長らによると、2人を発見した場所は一面がれきで、ほとんどの家が押しつぶされていた。任さんが震えながら最初に発した言葉は「中に80歳のおばあちゃんがいるので先に助けて」。署員が差し出したカイロや菓子をいったんは受け取らず、終始寿美さんの様子を気遣っていた。

良いお孫さんを持ったおばあちゃんは幸せですね。それに、二人とも助かってよかった!!

宮城・女川町の6324人生存確認 「孤立」解消へ
女川町は地震後の数日間、通信手段が途絶え、道路も津波で通行できなくなっていた。発生から1週間が過ぎ、集落の孤立状態も解消に向かっている。
町北部へ通じる国道398号は18日午後に開通。自衛隊や消防は町北部で行方不明者の捜索を急いでいるほか、尾浦、御前浜、指ケ浜地区で避難生活を送る人へ救援物資を届けやすくなった。

自衛隊や消防などが不眠不休の救助作業を続けてくれているお陰で、徐々にだが復旧が進んでいるのは本当に喜ばしい事ですね!!

関東地方は22日まで雨 「東京近郊では人体に影響するレベルでは全くない」

福島第一原発、基準6倍のヨウ素検出 核燃料の損傷確実
東京電力福島第一原発で、基準濃度の6倍のヨウ素131が検出された。セシウムも見つかった。東京電力が21日発表した。いずれも核分裂によってできる代表的な物質で、原子炉や使用済み燃料プール内の核燃料が損傷していることが確実になった。

今こそ、一丸となって対処すべき時ですね!!

進まぬ遺体の身元確認、釜石市は土葬の準備
東日本巨大地震発生から10日目を迎えた被災地で、多数の遺体の扱いに自治体が苦悩する中、岩手県釜石市は、25日から土葬に踏み切ることを決めた。

一方で、遺族感情に配慮し、身元確認ができない中での土葬に慎重な自治体もある。

気持ちはわかるが、限界もあるので・・・。

社業再生へ不屈 酒造で機械加工で製塩で…

少しづつであるが、復旧から復興へと向かう兆しがある事は大変喜ばしい事ですね!!

「品薄」コンビニ「変わらぬ」外食 物流方式に差、震災後“明暗”
東日本大震災の発生後、首都圏のコンビニエンスストアやスーパーで、おにぎりやカップ麺といった食料品の品薄が続く中、ファストフードなどの外食は、同じ食料品を扱いながら、順調に営業を続けている。業態の違いが仕入れ商品や物流方式の差となってあらわれ、“明暗”を分けているようだ。

外食は、小売りで品薄の主因の一つとされる「買い占め」とも無縁だ。一部、テークアウト(持ち帰り)の商品もあるが、賞味期限は当日。「食いだめできる量なんて知れている」(外食大手)。震災前と同等の在庫が確保できれば、営業は問題ないという。

ただ、外食業界も長引く燃料不足には、不安を隠さない。店舗数が小売りよりも少ないこともあり、当面は問題ないとしているが、「この状態が続けば、営業に支障が出てくるかもしれない」という見方もあり、楽観視できない状況は、しばらく続くだろう。

東海豪雨の時には、被害が限定的だったため気が付きませんでしたね!

コスモ製油所の火災鎮火=千葉
11日の東日本大震災により、同日午後発生した千葉県市原市五井海岸のコスモ石油千葉製油所の火災は21日、ほぼ10日ぶりに鎮火した。

こちらも、鎮火して良かったですね!!

窮迫する医療現場 原発事故 追い打ち
東日本大震災が各地の医療現場に深刻な影を落としている。宮城県内ではライフラインの停止や物資の供給難で、水や医薬品、食料が欠乏する中、病院内に患者があふれる。停電、断水の施設で多くの入院患者を抱え、窮地に立つ病院もある。

福島県浜通りでは、東京電力福島第1原発(大熊町、双葉町)の事故で病院や福祉施設が「陸の孤島」と化し、人、物資ともに不足する。各地の現場で「限界が迫っている」との声が上がる。

何とかならないのか・・・!?

「復興庁」の創設検討…統括組織で迅速化図る
政府・民主党は20日、東日本巨大地震の被災地復興などに取り組む「復興庁」を創設する方向で検討に入った。

今は、他にやる事が山積している筈だが・・・!?(怒)

家族の「宝」取り戻す 被災者、がれきかき分け 南三陸志津川
自宅跡の近くで金杯を見つけた。鈴木さんは「軍人だった祖父がもらったもの。大切な形見だ」と握りしめた。
長女の有里菜さん(12)は泥の付いた手でメダルをこすっている。弟が見つけてくれた。小学3年のころ、仙北地区ピアノコンクールで優秀賞を受賞したときの記念の品。「見つかってよかった。ずっと大事にしていたから…」

見つかって良かったですね!!

福島第1原発 英雄でも何でもない…交代で懸命の復旧作業
 取材に応じた下請け会社の30代男性社員は「東電から元請けに話がきて、そこから1次、2次と下請けに要請があった。私も準備が整い次第向かう」という。海外メディアなどの注目については「残っている人がずっと放射線を浴びながら作業していると思われるかもしれないが、実際は法にのっとった管理で人を入れ替えながら作業を進めているので、英雄でも何でもないと思います」と冷静だ。

英雄では無いかも知れませんがですね!!

一関IC以北の東北道など緊急交通路指定解除、明日から

これで、食料や水や燃料他の支援物資が大量に運べる足掛かりが出来るぞ。

続く余震、不安抱える市民=耐震基準見直しへ―NZ地震1カ月

こちらも、忘れてはいけません。地震は本当に怖いですよね!!

避難所満杯で…寒さに耐え30人車中泊 岩手・大槌町
避難所となった岩手県大槌町の安渡小学校の校庭で、建物からあふれた約30人の避難者が車中泊の生活を続けている。狭い車内で高齢者や幼い子どものいる家族が身を寄せ合う。ガソリンを切らすわけにはいかず、厳しい寒さにもエンジンをかけっぱなしにできない状態が続いている。
「子供が小さいので泣き声で迷惑をかけてしまうと思って」。2日目からワゴン車の中で車中泊を続ける。車内にロープを張ってタオルを干し、運転席と助手席は物置のように使っている。

「4人で毛布をかぶって寝ていますが、それでも寒い。時々エンジンをかけて暖を取っていますが、燃料が少ないから何日続くかわからないですね」

私もイベント時や昨年12月に、寝袋を持って九州に3泊4車中泊をしましたが、慣れないと中々大変かも・・・!?

プロ野球 パ・リーグは4月中、関東などでナイター行わず

セ・リーグは?

<計画停電>22日朝の第5グループは実施せず

東日本大震災 避難所「ストレス極限」…情報も足りない
「嘔吐(おうと)する人が目立つ」「ストレスが極限に来ている」。宮城、岩手、福島の避難所運営責任者アンケートからは、被災者の心身の状態が日々悪化していることが浮かんだ。医薬品が乏しく、暖房が不十分で風邪をひく人も多い。着替えが不足し、トイレの状態も劣悪で衛生面にも課題がある。先行きが見えないこともストレスの原因となっている。

やはり、原発事故や被災地域が広域な為に政府や行政の情報管理が不十分で支援が行き届いていない場所が今回の震災では多数みられます。先ずは、情報の一元化が重要かと思われますが・・・!?

福島第1原発 危機「脱する光明が見えてきた」…菅首相
菅直人首相は21日、首相官邸で開いた緊急災害対策本部会議で、東日本大震災で被災した福島第1原子力発電所に関し、「関係者の命がけの努力が少しずつ状況を前進させている。まだ危機的状況を脱したというところまではいかないが、脱する光明が見えてきた」と述べた。また、被災者支援について、「日一日充実するようしっかりと取り組んでほしい」と語り、政府を挙げたさらなる取り組みの強化を呼びかけた。

舐めてるのか?それとも、東電に責任を丸投げして現実逃避か・・・!?

福島第一原発2号機建屋から白煙

それ、みた事か!

福島原発の救世主となるか?巨大コンクリートポンプ車出動へ
三重県の建設業者から旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で活躍した50m級のアームを持つドイツのプツマイスター製コンクリートポンプ車が投入されるとのこと。

都知事、消防隊への圧力に抗議=原発放水「速やかにしないと処分」-海江田氏発言か

東京都の石原慎太郎知事は21日午後、首相官邸で菅直人首相と会い、福島第1原発での放水作業をめぐり、政府関係者から東京消防庁ハイパーレスキュー隊幹部に対して「速やかにやらなければ処分する」との圧力的発言があったとして、抗議した。石原氏によると、首相は「陳謝します。大変申し訳ない」と述べた。都関係者は、発言は海江田万里経済産業相からあったとしている。

石原氏は会談後、記者団に「現場の事情を無視して、(放水作業を)速やかにやれ(と指示があった)。やらなければ処分する、ということを上から言ってはいけない」と強調。さらに、「担当大臣か何か知らないが、恐らく上から来るのだろう。そんなばかなことを言ったら戦が戦にならない。絶対言わせないでください」と首相に申し入れたことを明らかにした。

また、同隊が使用した放水車の連続放水能力は4時間が限度だったが、政府側の指示で7時間連続で放水したため、石原氏は「完全に壊れた」と説明した。

一方、枝野幸男官房長官は同日午後の記者会見で「これから調査する」と述べるにとどめた。 

何か民主党の議員って、こんなのばかりだな・・・!?(怒)

「放射能がくる」の表紙に批判、アエラが謝罪
朝日新聞出版発行の週刊誌「アエラ」は20日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を取り上げた19日発売の3月28日号について、簡易投稿サイトのツイッター上で「ご不快な思いをされた方には、心よりおわび申し上げます」と謝罪した。

同誌は表紙や広告で、防護マスクをした人の写真に「放射能がくる」と見出しを付けた。ネット上で「福島の風評被害を広げるのか」との批判があり、ツイッターで「表紙及び広告などに対してご批判をいただいています。恐怖心をあおる意図はありません」と釈明し、謝罪のコメントを出した。

朝日新聞出版管理部は「ツイッターに掲出したコメントにあるとおりです」としている。

まあ、マスコミの言う事を全部まともに聞いていたらキリがないが、今回はやり過ぎたかも・・・!?

3号機水位不明…プール破損なら放水漏出の恐れ

3号機ではプール容量の2・5倍に上る放水が実施されているが、水位は依然として不明のままだ。

4号機については、プール自体が破損している可能性も指摘されている。

プールでは通常、冷却水を循環させながら燃料を冷やしているが、地震で循環が止まり、水が過熱して蒸発している可能性がある。

京都大原子炉実験所の宇根崎博信教授は「3号機に初めて放水した際、水蒸気が激しく噴出したことから見て、水は極めて少なかったはず。途中で拡散したり、プール以外にかかったりするため、実際にたまった水は放水量の数分の1ほどではないか」と指摘する。

3、4号機のプールがある原子炉建屋は爆発などに伴って破損しており、がれきがプール上部をふさいでいる可能性も否定できない。

プール自体が壊れていれば、せっかく放水しても、水漏れで水位が回復していない可能性がある。米紙ロサンゼルス・タイムズ電子版は18日、米原子力規制委員会の見解として、4号機のプールの壁か床が破損している可能性を指摘した。

プールの周囲は、水面がある階の床から、さらに約1メートル高い壁で囲まれている。そこからあふれた水は通常、緩く傾斜した床を流れ、建屋内の排水溝に集まる。これが地下のタンクにたまる仕組みだ。

その後、ポンプで廃棄物処理建屋に送られ、放射性物質の希釈などの処理が行われるが、停電でポンプは動いていない。排水が流れる配管が機能しているかどうかも確認できていない。

林勉・元日立製作所原子力事業部長は「建屋が壊れているため、放水された水が建屋外に漏れ出す可能性は否定できない。放射性物質を取り込んだ水が、土壌に染み込む可能性もある」と指摘する。

原子炉建屋から流れ出した水が海に流れ込み、放射性物質で汚染される可能性もあるため、経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は21日の記者会見で、放射性物質の監視について、東電と協議を始めたことを明らかにした。

先ほど、菅総理が「脱する光明が見えてきた・・・」と発言して、その後に福島第一原発2号機建屋から白煙が確認されて、数時間も経たないうちにこの様な事態が発生するとは信じられない!!今の政府には、きちんとした危機管理能力がないのか?(怒)

では、今回も74式戦車について少々・・・。

災害派遣支援活動-10-02
画像は、74式戦車ではなく、後継車種の90式戦車であるがその前部に付いているのが排土板<ドーザーブレード>である。通常戦車と言うものは戦場での運用を想定されているのだが、状況次第では岩やガレキ等の障害物が作戦上の障害になる事を想定して、作戦のスピードを重要視して考えられたオプション・パーツである。

74式戦車
74式戦車(ななよんしきせんしゃ)は61式戦車の後継として開発された、陸上自衛隊において国産二代目となる主力戦車である。

性能諸元
全長 9.41 m
車体長 6.70 m
全幅 3.18 m
全高 2.25 m(標準姿勢)
重量 38 t
懸架方式 油気圧式
速度 53 km/h
行動距離 300 km
主砲 51口径105mmライフル砲L7A1
副武装 74式車載7.62mm機関銃 (主砲同軸)
12.7mm重機関銃M2 (砲塔上面)
エンジン 三菱10ZF22WT
空冷2ストロークV型10気筒
ターボチャージド・ディーゼル
720 PS / 2,200 rpm
排気量 21,500 cc
乗員 4 名

概要
74式戦車は61式戦車の後継として開発された、第2世代主力戦車に分類される戦車。部内での愛称は「ナナヨン」。三菱重工業が開発を担当した。

油気圧サスペンションにより車体を前後左右に傾ける姿勢制御機能を備え、射撃統制装置にレーザー測距儀や弾道計算コンピューターを搭載するなど、61式戦車の開発された時点では実現できなかった内部機器の電子化も行われている。しかしエンジン出力に余裕がないため、装甲は軽量化し機動性を重視している。配備開始から装甲増加などの改修は行われていないが、新たな砲弾への対応能力が付与され戦闘力を向上させている。

現在では後継車輌として第3世代主力戦車である90式戦車が生産されているが、こちらは北部方面隊以外では富士教導団など教育部隊にしか配備されておらず、74式戦車は退役を進めつつも、全国規模の機甲戦力として配備数の上では主力である。

開発
74式戦車の開発は、61式戦車が採用されて間もない1964年にスタートした。当時は既にM60パットンやレオパルト1、T-62といった第2世代主力戦車と呼ばれる車輌の研究開発が終了し、それらが配備され始めており、日本の戦車開発のタイミングは一歩遅れている形となっていた。

この事情から、新型戦車は各国の強力な第2世代主力戦車に技術的に追い付くことが開発目標とされた。

新戦車の模索と開発
1950年代には成型炸薬弾を用いた対戦車兵器が進歩し「戦車無用論」も一時は広まった。後に高初速の砲弾や複合装甲の登場により、成型炸薬式兵器の優位は崩れたが、当時の日本における複合装甲は未だ試行錯誤の段階であった為、Strv 103のような無砲塔形状に関心が寄せられた。しかし、無砲塔戦車は戦闘正面の転換に際して敏捷性に欠ける、砲の範囲外を指向する際に車体ごと旋回するため変速機、足回りを酷使し、壊れやすくなり、信頼性に問題があるなどの理由から、従来の砲塔を搭載したものへと落ち着いた。

砲塔を持つことは、それだけ狙われる面積が多くなる事を意味するが、これについては避弾経始(ひだんけいし)や低車高化で対応した。特に低車高化については力を入れ、実寸大模型を製作し研究が行われた。これにより、74式戦車の車高は第2世代主力戦車の中でも低いものとなっている。装甲材には単純な防弾鋼を採用しており、同様の思想で設計されたレオパルト1、AMX-30と共通した外観を持つ。対戦車ミサイルなどの対戦車兵器については、装甲で受け止めて防ぐのではなく、流線的装甲による避弾経始と機動力で被弾そのものを回避するのが、74式戦車を含めた第二世代主力戦車の運用思想だった。

エンジンについては、すでに61式戦車の際に開発に成功していた空冷ディーゼルエンジンが存在していたが、目標とされた400馬力級の小型軽量エンジンの要件は満たしていなかった。そのため三菱重工業の高速艦艇用2サイクルディーゼルと戦時中に培った空冷技術をもとに、新たなエンジンが開発されている。ただし、トランスミッションに関しては技術的な遅れがあり、オートマチックトランスミッションが開発できずセミオートマとなっている。

射撃統制装置にはレーザー測距儀や弾道コンピューターなど、当時の最新技術が盛り込まれた。車体の挙動に影響されず主砲の照準を保持する安定化装置(スタビライザー)の開発では、砲塔を駆動する油圧システムとジャイロの電気信号で制御される安定化装置の制御が特に開発が困難だったとされている。

設計
火力
主砲には英国ロイヤルオードナンス社の51口径105mmライフル砲L7A1を日本製鋼所がライセンス生産した物を装備しており、105mmライフル砲用の砲弾は当初APDSとHEPを使用していたが、現在ではAPFSDS(93式105mm装弾筒付翼安定徹甲弾)とHEAT-MP(91式105mm多目的対戦車りゅう弾)を使用している。他に、演習用徹甲弾として00式105mm戦車砲用演習弾と、空砲射撃用の77式105mm戦車砲空包がある。砲は車体が傾いても砲自体は水平を保つ安定化装置を備えている。量産型には途中から、発砲の熱によるたわみを防ぐ目的で砲身にサーマルジャケットが着用された。

射撃の際はNd:YAGレーザーによるレーザー測距儀とアナログ式弾道計算コンピューターを用いる。また、STB-1にはパッシブ式暗視装置が装備されていたが、コスト面からSTB-2以降では廃止され[1]、アクティブ近赤外線式の暗視装置を備える事で、夜間射撃を可能としている。

副武装として、12.7mm重機関銃M2を砲塔左側に、74式車載7.62mm機関銃を主砲同軸に各1丁装備する。12.7mm重機関銃M2は陸上自衛隊をはじめ、西側諸国で地上用、車両用問わず対空機関銃として広く用いられている重機関銃である。STB-1ではリモコン可動式で、車長席に機銃用ペリスコープが装備されていたが、ペリスコープからの狭い視界からは精密射撃が期待できない[1]ため、STB-2以降は通常の手動操作に戻された。74式車載7.62mm機関銃は、本車のために62式機関銃を元に開発された新型機関銃である。M2用の12.7x99mm NATO弾は660発、74式用の7.62mm NATO弾は4,500発を車内に格納する。

車体
乗員は車長、操縦手、砲手、装填手の4名が乗車する。配置は、車体前方左側に操縦手、砲塔左側に前から砲手、車長、砲塔左側に装填手となっている。車内は狭く、砲手席に乗り込むには一旦車長席に座り、次に砲塔天井裏の取っ手につかまって体を持ち上げ、その足先にある座席に滑り込む。部隊配備された当時、本車を見学に来て車長席に座った米軍将校は、そこを砲手席と勘違いして「車長席はどこか?」と尋ね、今座っているのが車長席で砲手席はその足先にあると教えられ、その狭さに驚いたというエピソードもある。砲手ハッチはSTB-1ではソ連戦車と同じ前側に開くタイプだったが、STB-2以降は通常の後ろ側に開くタイプになっている。

74式戦車は日本の戦車としては初めて上部転綸が無く、直径の大きい下部転綸を採用している。61式戦車では超信地旋回ができなかったが、74式戦車からは可能になっている。

74式戦車の特徴の一つとして、山地の多い日本の地形に合わせ、油気圧サスペンション(ハイドロニューマチック)による姿勢変更機能を有することである。伸縮するサスペンションにより標準姿勢から車高を上下に各20cmずつ変化させることができ、サスペンションを前後左右別々に作動させることも出来るため、車体全体を前後に6度ずつ、左右に9度ずつ傾ける姿勢制御が可能である。このことで丘などの稜線から砲塔だけを覗かせて攻撃する稜線射撃も容易としている。これはスウェーデンのStrv 103を参考にしたといわれており、専守防衛思想のもとで運用され、待ち伏せ攻撃も想定する74式戦車にとって都合の良い機能となっている。また、車体の水平を保つことで乗員への負担を軽減する効果もある。丘陵地、傾斜地の多い国土での運用に長けた74式戦車の姿勢制御技術は、74式戦車の車体をベースに開発された78式戦車回収車や87式自走高射機関砲、91式戦車橋等にも一部改良され受け継がれた他、実用的な技術として90式戦車や10式戦車にも引き継がれている。90式戦車では前後方向への傾斜のみに簡略化されており、74式戦車よりも可動範囲の自由度は小さい。これは弾道計算コンピュータ、レーザー測距器に代表される電子機器の発達により、砲撃時に車体の水平を維持する必要性が薄れたためだが、10式戦車は砲反動をアクティブ制御で抑え込む目的もあり、左右の傾斜調整機能が復活している。

この特徴的な油気圧サスペンションは姿勢制御機能のためストロークが大きく、悪路での走破性が他国の戦車に比較して高い。北海道地区に配備されていた74式戦車は、サスペンション内の油圧オイルの凍結を防ぐため油圧を抜き、常に最低車高の状態で格納されていたが、現在ではオイルの不凍性が向上したため、通常姿勢で格納されている。

エンジンは、戦前以来の伝統である空冷ディーゼルエンジンで、2サイクルツインターボのエンジンはパワーバンドが狭いが瞬発力に優れるため、これも悪路における機動性向上に寄与している。なお、体験乗車時には、エンジンのグリル上に体験乗車用の立ち台が設置される。

アクティブ投光器は量産型の途中から追加された装備で、赤外線フィルターを外すと、夜間1,500メートル先で本が読める程度の明るさを持つ。あまりの大出力、大光量であるため、赤外線フィルターがかけられていても直前に立つと低温やけどや着衣の変質等の危険性があり、赤外線フィルターを解除すると赤外線による人体への熱傷の危険性がある。かつて雲仙普賢岳噴火の際に、夜間に火砕流発生の警戒監視をこの投光器で照らして行うアイデアが実施されたため、74式戦車は戦闘車両でありながら、災害派遣の実績がある。

完成当時、この戦車を見たイスラエルの武官が「これでは砂漠で戦えない」と述べたといわれるが、日本国内での運用のみを想定し、輸出も考慮していない74式戦車の場合、防塵フィルターのような砂漠用装備の開発は最初から意図されていない。

水密構造であるため、潜水キットを取り付ける事で2 m強の潜水渡河が可能となっている。この密閉効果を利用することで、NBC汚染地域では車内を与圧し、乗員を汚染物質から防護することができる。潜水渡河の際、操縦手は雨衣を着用する。

本車は車載燃料量が少なく、車内燃料による航続距離はおよそ250kmとされる。これは同世代及びその後の第三世代主力戦車に比べ半分程度となる。ただし、車体後部にドラム缶型の予備タンク(250リットル)を装着することが可能である。

以上、出典はウィキから抜粋してあります。
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